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願い

ここでは、「願い」 に関する記事を紹介しています。


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性的、暴力的な表現を含んでいます。
虚構と現実の区別のつかない方
18歳未満の方はご遠慮くださいませ。
自己責任に於いて閲覧していただきますようお願いします。

 

「結婚する?」
 いつものセックスの後に彼がそういった時、俺は心底仰天した。だって、誠一って、ゲイなんじゃなかったの?
「いつまでも一人でいると、周囲もうるさいしさ。怪しまれちまうのも損だと思って」
 そんな理由で結婚できる訳?女とやったことの無かった俺は、彼がどうやってそこまで行き着いたのかまったく分からなかった。
「…出来ないって訳じゃないんだ」
 溜息をついて、困ったように言葉をつなぐ、彼の様子は、煮え切らない。
「相手のこと。少しは好きなんじゃないの」
「嫌いではないし、耐えられる」
 そんなのって、アリかよ!でも、ありなのだった。今やセックレスが当たり前の時代だから、とにかく結婚してしまえば、何度かやっとけば、別れても、とりあえずは「×イチ」。始終、「ホモじゃないのか?」と、疑われることもなくなるって訳。
「一年ぐらいしたら、離婚しているだろうから、また、連絡するよ」
 誠一のこと好きとか恋しているって訳じゃなかったから、一年たって呼び出されれば、俺はのこのこ行ってしまいそうだった。だけど、女を抱いたことのある誠一と、今までどおりに付き合えるかって言われると、なんだか、いやな気分だった。間接的に汚れてしまうような、そんな理不尽な嫌悪感。相手の女はなにも知らないんだろうか。
 こんな自己中心的な考えする奴だったっけ。そう思うと、となりに寝ている男が急に見知らぬ奴のように思えてきた。誠一が自分の性癖を受け入れるのだって、結婚しようと決めたのだって、その場の成り行き任せで生きてきた俺と違って、いろいろ悩んで決めた結果なんだろうけど。
 今までそんなそぶりを見せたこと無かったし、そう考えれば、俺たちの関係は、結局は体だけのつながりなのだった。でも……彼は、最初の相手で、初めての俺にずいぶん丁寧に、手ほどきしてくれた。何よりも、宙ぶらりんの俺にやさしくしてくれた。そう、思うと、ちょっと涙が出た。それは、そんな生き方を選べそうにも無い自分を憐れんだだけだったかもしれないけれど。
「またな」
 翌朝、そう言って俺たちは別れた。これで最後って訳じゃない…。だけど、次に会うときは、もう俺は、昨日までの俺のようには振舞わないだろう。
 ばいばい誠一。

 感傷に浸ってばかりもいられない。何しろ、欲求はみんな誠一の体で解消していたんだから早急に、次の奴を捕まえないといけないような気がした。後で振り返ってみると、好きになることもしないでセフレからゲイの世界に入って、大して痛い目にも遭わなかった俺は、常識が分かってなかったのかもしれない。
 どこで次の相手と知り合うか…誠一の部屋に通っていた6ヶ月の間に、寝物語にあれこれ教えて貰ったせいで、不確かな知識はやけに増えていた。ゲイの世界には「発展場」と呼ばれる場所がある。最初に俺が言ったピンク映画館のような場所。バー、サウナ、ビーチ、公園、トイレ…相手を捜している同じ趣向の人間達が、クルージングしている場所。その中で一番スタンダードなのは、有料発展場だった。
 ミックスルームとビデオボックスと個室が設置されているような場所だ。施設が大きくなればきちんと鍵のかかる個室があるところもあり、ラブホテル代わりに使える。だが、たいがいはどこから手が出るか予測もつかなければ、アレになるとして、誰が見ているのか分からないような場所だった。
 入り口を入ると受付があって、金を払う。1000から1500円と非常に低価格で利用できた。中には学割がきくところもあって、学生証を提示すると800円くらいになった。入ってすぐにロッカーがあるから、そこで服を脱いで、シャワーを浴びたい奴は浴びる。
 館内は指定の服装をすることになっていて、Tシャツとボクサーパンツだったり、ビキニだったり、水着だったり、曜日によっては全裸だったり。要するにハッテンするのが目的で来ているから、ものすごく露骨にお手軽な格好になる場所なのだ。相手を誘うのも、特に手順なんか踏まない。触って嫌がらなければOK。その気がないなら、断る。ただ、それだけだった。
 最初に映画館に行った時のうぶな俺は、たった6ヶ月ですっかり経験をつんだつもりになっていた。誠一に対するいくばくかの腹立たしさも手伝って、勢いに任せて俺は、インターネットで検索して適当に選んだ店に出かけて行くことにした。




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 いつの間にか価値観すらもすり替わり、そんなことおかしいだろう…と、いう意識もどんどん磨耗していく。普通に知り合って、話をして、好きになって、それから悩んだり、傷ついたり、求め合ったり、離れたり。そんなふうにしてお互いの間に築いていけるもの。そんなものをどこかに置き捨ててしまった俺は、どんどんと快楽と体だけの世界に踏み込んでいった。
 男同士ってなんて簡単なんだろう。出会って、気に入ったら、すっとそばに寄っていく。視線が合い、手を伸ばしてくる。触れ合う。熱い体が重なり合う。話をするのはその後。お互いを確かめ合ったその後。
 気に入らなければそれで終り。もちろん自分勝手な奴や好みに合わないのにしつこくする奴、そんな相手がいないわけじゃなかったけど、店を変えればそれっきり。顔なじみも出来て、体が先だったはずなのに、会話をするようになってようやくいい奴だなと思った時も。
 誰かに話を聞いてもらいたくって、淋しいときは、ゲイ・バーに出かけていく。そこにいるのは、同じ性癖の奴ばかり。ものすごく安心できる世界。何も隠さなくてもいい、何も装わなくてもいい。
 一年くらい俺はとにかく遊んだ。何人の男と寝たのか覚えきれないくらいに。遊ぶ金のためにせっせとバイトをして、大学の授業なんかすっかりお留守になった。ラッシュを覚えたのもその頃。合法ドラックの一種で揮発性の液体だ。血管の拡張と筋肉の弛緩が起きるためアナルセックスが楽になる。
 ひとつ薬に手を出すと、やがてはどれも同じようなもののように感じて警戒感が薄れていく。中には、すごくヤバイ薬もあるはずだった。一度、乱交パーティーに近いようなイベントで会った男に出所の不明の錠剤を使われて、輪姦されちまったこともあった。快感が倍増して狂うかと思うほどよくって、もう、されるままになるしかなかった。
 もし、智哉に会わなかったら、俺は廃人になっていたかもしれない。
 智哉に会ったのは、二丁目のビルの1階にある行きつけのバーだった。初めて会った時の印象は、ずいぶん痩せて顔色の悪い男だな…くらいのものだった。特に話をしたわけでもなく、飲んでいるうちに俺はその男がいることを忘れちまったそして、ママとあれこれ世間話をしているうちに、何でかわからな行けどそいつがふらりと立ち上がって、あっという間にぶっ倒れた。もう、店の中は大騒ぎ。彼は囁くような声で「平気」とか「すぐ治る」とか呟いているけど、紙のように白い顔して目をつぶってしまって、はかばかしく返事をすることも出来ない。営業にならなくて困っているママを見かねた俺は、そいつを店の裏口から路地へと引きずり出した。手近なところに積んであるダンボールの箱をつぶして、路地へ並べて、その上に寝かせた。着ていた上着をかけてやる。ママが渡してくれた濡れたお絞りで額を拭いてやりながら、俺はそいつの足元の地面にずるずると座り込んだ。思いついて脈をとってみると、結構速いけど特に乱れているわけじゃなくて、救急車を呼ぶほどでもないかと、そのままそこでタバコを吸っていた。

 彼の意識が戻ったのは、そこに座り込んで30分も経っていただろうか。なにか呟いたような気がして覗き込むと目を開けてぼんやりしている。
「おい、大丈夫か」
 肩に手をかけて揺すると、そいつは朦朧としたまま俺のズボンに手をかけて脱がせようとしてきた。
「なにしてるんだよ」
 俺が彼の手を払いのけると、始めて彼は、俺の存在を認めたように俺の顔を見た。
「…しなくていいの?」
 こいつ、ラリってる?
 そうじゃなかった。貧血を起こして朦朧としているだけだった。それが俺の元ウリ専ボーイ智哉との、ぱっとしない出会いだった。
 ふらふらしている彼を部屋まで送っていって、遅い時間だったからそのまま泊まって。とにかく俺の人生で、ゲイでそいつの部屋に泊まったのに、一切何も無いままずっと付き合いがあったのは彼一人だけだった。最初の出会いの行為とは裏腹に、彼は俺に体を一切触らせなかった。
 HIVだったから。




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 ウリ専っていうのは、いわゆるゲイのホストで、たいていの場合は性交渉が伴う。こんなにもお手軽にセックスできるゲイの世界にもそういう商売は存在する。それは、やっぱり、かわいい子、若い子を抱きたいと考える男がいるのは確かなことだったから。
 彼は、若い頃は結構売れたウリ専だったらしいけど、ウリ専の旬ってあっという間に終ってしまうらしい。そして、HIVに感染しているという事実だけが残った。今では駐車場のバイトなんかをしながら、何とか食いつないでいる状態だった。
 まあ、そのことは俺と智哉の付き合いにはあまり関係がない。HIVであることも本当のところどうでもよかった。なぜなら、別にセックスする相手じゃなかったから。なぜ、彼の部屋に通い始めたのか本当のところはよく分からなかった。
 智哉は、あんまりおしゃべりなたちではなかったし、なんだかいつもぼんやりとして、世界と膜を隔てて付き合っているようなところのある男だった。俺が訪ねていくと、特に迷惑がるふうでもなくて家に上げてくれるし、じゃあ何をするのかというと向かい合って俺の持ってきたビールを黙って飲んでいたり、二人で並んで寝転がってタバコを吸っていたりするだけなのだった。
 彼の部屋は六畳一間に風呂トイレ付の古いアパートで、近所の住人はどういうわけか、夜はほとんど出払っていて、電気がついていない。それで、彼の部屋にあるただひとつの過去の遺物であるステレオで物悲しいジャズなんか流してみたりしながら、ぼーっとしているのだった。
 雨が降っていたりすると、彼の安普請のアパートはじめじめと湿っぽく、屋根にはじける雨の音が響く。そんな時なぜか俺はたまらなく悲しくなって、横にいる彼のことなんかまったくいないもののように泣いてしまったりした。彼は、慰めたりせず、言葉もかけることも無くて、ただ黙っていた。
 それから、彼が若い頃は美大に通っていたことを知ったりした。彼は、窓の側に座って、手が届くほど近い、隣の同じようなアパートの壁を見つめている俺のスケッチとかを大学ノートに描いてくれた。

 ようやく、俺は彼に誠一の話しをした。惚れていた訳でも無かったのに、裏切られたような気がした理不尽さを、始めて人に打ち明けた。
 いつのまにか、俺は発展場へ行かなくなり、大学の授業にちゃんと出るようになった。彼の部屋へ教科書を持って行き、眠っている横で勉強したりした。
 彼はすでに発症していたから、障害者手帳を持っていたし、病院で薬ももらっていた。今は、いい薬が出来て、簡単に死ぬような病気じゃなくなったとは言っても、いつもなんだか不安な様子で神経質なほど俺に触るのを避けようとしていた。
 多分、彼から感染した。好きだった人。最初に抱かれた人。どこまでも一緒に行けたらと思った人。智哉の口からそいつのことを聞いたのは、あのバーでの出会いから6ヶ月も経っていただろうか。
 それっきり置き捨てにされて、捨てられたんだと思っていた。特に理由も無く、いつのまにかウリ専するようになって、5年くらいはいい思いをさせてもらったけど、だんだんとひどく痩せて、客がつかなくなってきた。そんなある日、最初の相手が死んでしまったことを人づてに聞いた。検査を受けて感染していることを確認した。それ以来だれともしていない。でも、もう遅いよね。さんざんいろんな男に抱かれた後だったから。そう言うと彼は困ったように笑った。
 人生って、そんなもの。そんな言葉でひとくくりに出来るようなことじゃなかったけど、その話をした次の週にアパートに遊びに行ったら、もう部屋は引き払われていた。隣の部屋の住人が珍しく家にいて、彼が荷物を処分して、後始末もしてから出て行ったことを話した。そして、白い封筒を渡された。
「ありがとう。彼のところに行くことにしたから」
 たった一行だけの手紙。俺は繰り返し三回読んだ後、その手紙をクシャッと丸めてポケットにつっこんだ。





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 その後、俺は智也の分までも生きるために素行を改めた。……と、なるべき展開なんだろうけど、俺はそんなに感動的にはできていなかった。途切れていた発展場通いも復活し、バーで男を拾うこともあった。何しろ、行く場所がまだしても無くなったし、性欲が消えるはずも無かったから。
 でも、真面目に通い始めた大学の勉強が面白くなってきていたから、荒れて遊びまくっていた一年の時よりもましになったと言えるかもしれない
 ちゃんと通うようになれば、また、大学の友達との付き合いも復活する。最初の頃、ちょっと好きだったイケメンっぽい緒方やその他同じゼミをとることになった爽やか青少年の河野とか、その彼女のメガネをかけた委員長タイプの後藤とか、勉強しか能の無いと思わせといてしっかりおたくの関本とか。
 幸い俺がゲイってことはまだ定着してないみたいで、うすうす気付いた奴とか怪しんでいた奴もいたはずだけど、まったく気がつかない奴もいたわけで、驚いたことに同じクラスの女の子に誘われてコンパに行ったり、グループで映画を観に行ったり、まずまずの普通の学生生活を送ることができたりもした。
 だけど、世の中そんなに甘くない。そうやって、知り合った女の子に交際を申し込まれれば、やっぱり断わるしかないのだった。
 ゼミの教室で後藤と向き合ってレポートを書いている時、昨日の飲み会で隣に座った女の子に呼び出された。CanCanの表紙に出られるようなかわいい女の子。当然、相手にしてみれば、俺程度の男が断わるなんて許せなかったらしい。それまで、かわいらしくしなを作っていたのに、俺が付き合うことを断わると、いきなり顔色を変えてののしってきた。
「あんたほんとはホモなんでしょ!噂は聞いているんだから。もう、サイテー。不能!」
 正直言うと、結構図太くなっていたつもりだったけど、大学の廊下という場所での出来ことに俺はめりこんだ。

 戻ってきた俺は、黙って後藤の前に座った。後藤は、顔も上げずにレポートの続きを打ち込んでいる。アレだけ大声で叫ばれたんだから筒抜けのはずなのに、まったく表情も変えてなかった。何だか続きをやる気がうせて、背もたれに肘を乗せると、俺は、溜息を付いて周囲の風景を眺めた。窓から差し込んでくる夕日にきらきらと埃が舞っているのが見えるカチャカチャと後藤の打つキーボードの音だけが響いている。
「気にすることないわよ。馬鹿女の言うことなんて」
 自分が話しかけられたということが分かるまでしばらくかかった。
「気にしてないつもりだけど…」
 ガシガシと頭を掻いた後、椅子の上で座りなおした。
「なんか、傷ついたかも」
「わかるけど。私だってめがねかけているからって、メガネってののしられるのやだし」
「……」
 やっぱ、聞こえていたわけね。俺は、顔を上げた後藤のふちの無いめがねを見つめた。めがねと一緒にしないで欲しい。
「後藤は、キモいとか思わないわけ」
 一瞬の沈黙の後、後藤は眉を寄せてこっちをちらりと見たが、またパソコンの画面へと戻っていった。
「なんで?折原が、一生待っていても私に恋してくれなくても別に平気だよ」
 ああ、やっぱり気がついていたんだな。さっきの慰め方から、もしかしたらと思っていたけど最初にカミングアウトする相手が、女の子で友達の彼女ってことになるのはちょっと気持ちの準備が足りなくて、思わず溜息をついてしまう。
「…そうじゃなくってさ。ほら、ビジュアル的に男同士ってエグイだろ」
 後藤は、初めて俺の顔をまじまじと見た。
「……。ふうん」
「なんだよ」
「それって、男と女だったらビジュアル的に綺麗だと思ってんの?」
「そうじゃないの?だって、何だか…何だか男同士ってケダモノって感じしない…?」
 憮然とした後藤がゆっくりと手を伸ばしてきて机の上をトントンと叩いた。
「ねぇ、折原さ。それは明らかに間違い」
 キッパリと断言されて、しかもそれが真剣な声だったので、俺も真剣に後藤の言葉の続きを待った。
「映画の中の美男美女ならともかく、実際のセックスなんて、男と女だろうが男と男だろうが女と女だろうが、同じくらいに綺麗に見えない。男以上に女の性器なんかグロ以外の何物でもない」
 何だか、納得できない意見だ。ものすごい偏見があるような気がした。
「だけど…AVビデオとかでさ。わざわざそこを見たがるだろう」
「ま、男は見たがるわね」
「女は見たくないの?」
「私は、見ない。性器なんて見ても興奮しない。なんで自分のそこ見て喜ぶの?男のだって観たくないのに」
 今、俺の常識を覆すような意見を聞いたような気がする。こいつは異性愛者のはずだった。
「…後藤。お前、それって問題じゃない?河野と付き合っているんだろう」
「ああ。それは全く話が別。好きな人の性器は汚くないよ。かわいいと思うし、さわれるし、咥えられるし。その後でご飯もちゃんと食べられる」
 俺はちょっとひるんだ。ここまで女性にあけすけに言われた経験がなかったからだ。だが、もう一度その言葉を咀嚼して気がついた。それって、ペニスを見たらご飯が食べれないってことか?
「うん。だって、えぐいんだもん。男同士だからってことじゃなくって、そういう場所ってもともとえぐいもんじゃない?女性の性器を花びらにたとえたり、クリトリスを真珠にたとえたりするけど、結局は赤貝じゃん」
 あまりのシュールなご指摘に頭が痛くなってくる。普段、あまりにも清々しい、白いブラウスが似合う大和撫子振りに俺が抱いていた幻想はガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
「みんな同じようなもんだから、別にホモだけが特別にどうとか思わないよ。彼女は、折原に振られて頭にきたから、あんたが一番傷つきそうな言葉を言っただけでしょ」
 率直で飾らない。慰めるというより、事実を指摘しただけ、というような口調だった。だけど、今まで生きてきた間、常に女性に言って欲しかった本音に遭遇できたような気がした。傷つけたかったから、痛いところをつく。その通りだ。そして俺はその通りに傷ついた。ホモとののしられて、傷つくのは、あたりまえだし、しかたない。俺は、後藤の慰めをありがたく受け取った。
「ねぇ、折原って男のあそこみてえぐいとか思わないの?」
「いや、平気だよ。誰のでも咥えられる」
 俺は、彼女の恬淡とした口調に引きずられて、つい、言わなくてもいいことまで吐露してしまっていた。
「やっぱり、そうか。男って、ほんと節操ないよね。好きな子と歩いていても、女子高校生のスカートとかひるがえると無意識に見ているもんね。据え膳食わぬは男の恥とか言って、迫られたらホイホイ言ってついてっちゃうの。どだい女と脳の構造が違うんだもんね。あんたも好みの男とすれ違ったら、きっと、じっとあそこを見てるんでしょ」
 そんな風にして、俺は少しづつ友達と呼べる知り合いを増やし、カミングアウトした友人を増やし、再び、発展場から遠ざかった。恋人がいなければセックスしないこともある。そんな日常があり得ることをやっと学んだのだ。たまに思い出したように、ゲイ・バーへ行ってママとおしゃべりをして、仲間のいない日常の寂しさを振り払う。そうして俺はようやく大学生活になじんでいった。

 

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「ねえ、聞いた。神崎先輩が帰ってきたってこと」
「ああ?ほんとに?」
大学の帰りにゼミの仲間と寄ったコーヒーショップで、始めてその名前を聞いた。嬉しそうな様子の後藤を見やって河野が眉をしかめて、嫌な顔をした。
「だれ?それ…」
関本が黒いセルロイドのめがねを押し上げながら、びっくりしたように俺を見た。
「ああ、そうか。お前、真面目に大学に来るようになった時は、もう先輩いなかったっけ?」
「去年の今頃だっけ?もう、後は論文出すだけだったのに、やりたいことができたとか言ってスタンフォードへいっちゃった院生だよ。歩くフェロモンって言われるくらい、女にモテまくっていた人」
 河野の口調を聞くと、彼がそのことを歓迎してないことは分かった。だが、その名前は、まったく記憶に無かった。どうやら知らないのは俺だけだったみたいだ。
「後藤はその先輩が好きなの?」
「え?折原でも、そういうの分かるの? ふふふ。だって、かっこいいんだもん」
「おい、彼氏の俺の前でぬけぬけ言うなよな」
 河野は本気で嫌がっている。それもだけど、普段、俳優とか歌手とかそういうものにひどく冷静な反応しか返さない後藤の、妙にテンションの高いハートマアクの付いているような口調にびっくりしてしまった。
「折原なんか、見たらきっと惚れるって。論文出して卒業資格もらったら、また、すぐアメリカに行っちゃうかもよ。早く見ておかないと」
 女にモテまくっていたってことは、異性愛者だろ。何で俺にふってくるんだ。だったら、自分で押さえとけよ。
「うーん。だめ。なんかね、人種が違うって感じ。まとっているオーラが違うの。すごくやばい感じ」
 何がやばいんだ?だけど、所詮は、別世界の人間ってことだな。その時はよくわからなかったから、機嫌の悪くなる河野を刺激したくなくって、急いで違う話題を持ち出した。もっとよく、後藤の意見を聞いてればよかった。後でそう思っても、ほんとにあとの祭り。後悔先に立たず。
 だから、教授の部屋で初めて偶然神崎と顔を合わせた時、俺はまったく無防備な状態だったのだ。ノックに返事をもらって、ドアを開けると教授の机の横に彼は立っていた。百八十五センチはあろうかという背の高さ。それにしっかりと筋肉がついた、それなのにスリムな体。黒いシャツの胸元は第二ボタンまで開いていて、ちらちらと銀色の鎖がのぞく。教授の前に立っているって言うのに、俺の目はそのやけにエロティックな鎖骨のくぼみに吸い付いてしまって、離れようとしない。
 名前を呼ばれて我にかえって、初めてその男の顔を見た。すっきりとした額と強い視線の瞳の印象的な整った顔。俺は、ぽかんとして、それから慌てて目を逸らした。話しかけてくる教授へ必死になって意識を集中した。
 どくん…心臓の音が聞こえる。どくん…スローモーションのように世界が間延びした。どくん…これはなんだ?鼓動がだんだんと速くなってくる、耳元で鳴り響くように。部屋の隅がどんどんと遠ざかる感覚に俺はめまいを感じた。足が震える。冷や汗が滲む。どくん。どくん。どくん。まずい。ぶっ倒れるかも。と、思った瞬間、誰かに腕を強くつかまれた。
 はっとして、相手を見上げる。神崎だった。紹介されてもいないのに間違えようがない歩くフェロモン。ちょっと眉を寄せて不機嫌そうに俺をじっと見つめている。急激に世界が縮み、教授の声がはっきりと聞こえた。
「折原くん。大丈夫かな」
「ハイ!大丈夫です」
 反射的に返事をして、差し出された注意事項の紙を受け取った。明後日から始まる実験のために、掲示板へ貼っておくこと。俺は、教授の言葉をもう一度復唱して、了承をもらうと、回れ右をして、部屋を退出した。
「じゃあ、失礼します」
「ああ、来週には結果が出るはずだから…」
 手短な返事に軽く会釈すると、神崎は俺と並ぶようにして、一緒に部屋を出た。後ろでドアが閉まったとたん、俺は、隣に立つ男の気配に総毛だった。なんとか空気を吸わないと…と思って、じたばたしながらもなにひとつ生産的な事ができない
「倒れるなよ」
 バレてる。再び腕をとられて、強い力で引かれた。大またに歩き出す相手に引きずられるようにして、その並びの空き部屋に引きずり込まれてしまった。一番近い椅子を引くと、彼はそこへ俺を押し込んだ。膝の上に肘を突くと頭を抱え込む。ガンガンと耳鳴りがして、世界が暗転した。どうすりゃいいんだ…。
 ようやくめまいが納まった頃を見計らったように突っ込まれた。
「…お前、ゲイか?」
 速攻、言い当てられて、否定することもできなかった。すっかり体は反応してしまっていたし、そんな事態に動転していたから、ごまかしようも無くて俺は黙ってうなずいた。顔を上げると、さっきと変わらない不機嫌そうに眉をよせた神埼の表情にぶつかった。
「俺は、男は抱かないぞ」
 神崎は、俺の肩の上に手を乗せて、ぎゅっと押し付けると部屋を出て行った。俺の初めての恋はこうして5分で破れた。




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 振られたんだから男らしく諦めろ。他人に言うのはたやすいが、自分がその立場になればとても言えたもんじゃなかった。嵐のように襲い掛かってきた、このコントロールできない感情に俺は引きずり回された。
 恋っていうものはもっと甘酸っぱい感情なんじゃないのか。と、我と我が身に突っ込んでみてもどうしようもない。
 考えるのは、あの瞬間の彼の鎖骨のくぼみ。シャツを張り付かせた体のライン。空気を振るわせた低く響く声。俺の腕をつかんできた強い握力。そしてあっというまに心まで突き通した瞳の暗いゆらめき。
 こんなのは恋じゃない。あまりにかっこよい奴だったから、肉欲にあおられてくらくらしただけだ。なんてったって、歩くフェロモンって言われていたぐらいだし、そういう意味で女をひきつける奴なんだから。いくら自分に言い訳しても事態がよくなるわけじゃなかった。一瞬でもいい。もう一度その姿を目にしたい。もう一度その声を聞きたい。
 考えられるのはゼミの実験室。教授の控えの部屋。それから。それから…。だが、彼の姿を見つけることは出来なかった。
 「来週結果が出る」だとしたら、その結果を受け取りに大学に来るはずだ。週が明けると俺はありとあらゆる手を使って教授の部屋へ入り浸った。幸い連絡係だった俺が雑用を引き受けると、教授はまったく疑わずに俺を部屋へ入れてくれた。その週の間、俺はずっと教授の部屋でシュレッダーを掛けて過ごした。だが、神崎は現れなかった。俺は焦った。結果を受け取ったらアメリカへ帰ってしまうのじゃないだろうか。
 最後の勇気を振り絞ると、俺は教授に直に質問した。
「神崎先輩は、いつアメリカに戻られるんですか」
 教授は、シュレッダーに掛けるために、ホチキスの針を外そうと書類と格闘している俺に優しく答えた。
「向こうの用事はすんだと言っていたから、アメリカには戻らないんじゃないかな。もう、就職もこっちで決まっている筈だから。今は、そっちの研究室の方へ行っているんじゃないか」
 俺は、思わず目を閉じた。アメリカへ行ってしまう怖れは消えた。でも、もう一度彼に会うにはいったいどうしたらいいんだ?
「連絡を取りたいなら、そのコルクボードに携帯の番号が貼ってあったと思うが…」
 俺は、弾かれたように振り向いた。彼の名前と携帯番号がすっきりとした字体で書かれたメモは、いろんな連絡用のメモがピンで止めてあるコルクボードの上に確かに貼ってあった。
 やった。一歩彼に近づいた。でも、電話番号が分かったからって、電話を掛ける理由が見つからなかった。何しろ初対面の時にこっぴどく振られているんだから。どんな意味でも電話をするのは、困難だった。俺は、ありとあらゆるシチエーションを吟味して、そのすべてを捨てるしかなかった。
 残ったのは、先輩後輩として学業に関して質問することだった。人並み以上に優秀な人だったのだから、それだったら、電話を掛けても不思議じゃない。俺は、周囲の人間に尋ねて廻り、神埼が研究していたというテーマを探り出した。そして、図書館に行くとその関係の本を片っ端から読み漁った。生半可な質問を持って行くと、あっという間にその魂胆を悟られそうで、不安でならなかった。
 電話をする決心をするのに一週間かかった。携帯からかけて、知らない番号は取らない人だったらと思って、思い余って学校の事務局で電話を借りた。そして震える手を叱咤しながら、俺は彼に電話を掛けた。
「はい、神崎です」
 あっけないほど簡単に電話はつながり、俺は彼のあの声を聞いていた。俺は、相手が気付いて切ってしまわないうちに用件を全部言おうとして焦った。
「おれ、俺、二週間前に、横山教授のお部屋でお目にかかった、折原樹です。この電話番号は横山教授に教えてもらいました。あつかましいのは分かっているんですが、聞きたいことがあって…」
 神崎は沈黙した。俺は、もっと焦った。頭の中をでっち上げた質問がぐるぐる廻っている
「あの、あの…リアプノフ法による同期平衡過渡安定度解析についての…」
「俺は、男は抱かないって言ったよな」
 一瞬で全部見透かされた。俺は打ちのめされてぺしゃんこになった。重ねて嘘をつく度胸なんてこれっぽっちも残っていなかった。
「はい」
 俺は、うなだれてうなずくしかなかった。これで終り…。つながりは切れた。ぎゅっと目を瞑って、叫びだしたいのを堪える。俺は何で。何で一度会っただけの奴に、こんなに。こんなに囚われてしまったんだろう。もっとかっこいい奴だって、もっと優しい奴だって、すごいテクニシャンだっていたはずなのに……。涙が出そうだった。
「分かっているならいい。家に来い。夜の8時廻れば帰っているから住所は…」
 神崎は住所を言い終わると、念押した。
「復唱しろ」
 住所を復唱する。声がうわずって掠れた。
「駅から歩いて5分だ。場所分かるか?」
「はい」
 次の瞬間、電話はもう切れていた。俺は、受話器を握ったまま呆然と立ち尽くした。





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 彼が教えてくれた住所は結構名の知れたマンションの番号だった。駅前で尋ねれば誰でも知っているような大きなマンション。どうすればいいのか分からなくって、代わり映えしないのは承知のうえでコンビニで冷えたバドワイザー六本パックとつまみを買った。エレベーターで八階まであがり、目的の部屋の前まできた。その時、風呂場の換気扇が廻っている音がして石鹸の香りが流れてくるのに気が付いた。
 俺は、玄関のドアに片手を付いて、どっと沸きあがってくる感情と戦った。彼に、触れたい。触れられたい。抱きしめられたい。キスしたい。……抱かれたい。
「俺は、男は抱かないって言ったよな」
 耳の底に残っている彼の冷静な声。それでも俺は「三歩」彼に近づいた。会えないままになってしまったかもしれない昨日までとは違う。もう一度、彼に会う。勇気を出してチャイムを鳴らした。誰がやってきたのか確認もせずにいきなりドアが開いて、おれは慌てて後ろにバックステップした。
 そこには明らかに風呂上りと分かる神埼が濡れた髪の毛を拭きながら立っていた。入れ、というように顎をしゃくると、そのまま部屋の奥へ戻っていく。あまりにもそっけない扱いに、戸惑いながら俺は靴を脱いで、振り向き玄関の鍵を閉めた。なぜだか、ガチャという金属音が俺の胸を震わせる。
 入り口に続く左右にドアがある廊下を進むと、大きなリビングダイニングに出た。学生の住むマンションじゃないかも。おれは不安になって周囲を見回した。
「一人暮らしなんですか?」
「ああ、そうだ。叫んでも誰も来てくれんぞ」
 すっきりと片付いた室内は、普通じゃないようなモダンな家具で占められていた。神崎は俺が持ってきたパッケージのバドワイザーから、二本を外してソファの前のローテーブルの上に置いて、残りを冷蔵庫に入れるために台所に消えた。
 落ち着かなく辺りを見回していた俺は、壁際にある不思議な形をしたベンチに目を惹きつけられた。どっしりとして磨きこまれたむく材で作られた木の枠のような背もたれのついた家具。足元は優雅にカーブを描く模様を掘り込まれた支えが取り付けられ、向こう側には、足を乗せるための踏み台が、そしてこっち向きのほうにはベンチがついていた。
 上の枠には真ん中に大きな穴がひとつ、両側に小さな穴がふたつ開いている。右端に大きな飾りのついた南京錠が付けられていた。なんだろう?宗教色の強い家具にみえる。この穴は…?小さな二つの穴には、セーム側で作られたクッションのようなものが貼られていた。ちょうどみっつの穴をつなぐように切れ目の筋が入り、南京錠を外せば上に開くのではと思われた。もしかして手枷?

 中世の魔女裁判で拷問の道具に使った晒し台のような…そんな形。触るとひんやりと冷たくてすごく重くて堅い木で作られているようだった。俺はごくりと咽喉を鳴らした。
 戻ってきた神崎は、透明なグラスを持っていて、バドワイザーの横へ並べた。俺は慌てて、その家具から視線を引き剥がし、彼の前に座った。
心臓が早鐘のように打ち始める。
「で?確認しときたいんだが……」
「はい」
「ほんとに質問があるのか。…それとも俺に会うための嘘か?」
 俺は、ひっぱたかれたようにすくみあがった。神崎に嘘をついても通らない。そう思い知らされた。ここまで来て恥の上塗りをしたく無かった俺は、正直に言った。
「うそ、です。ただ、もう一度会いたかっただけ」
 神崎はソファの背に体を預けて足を組んだ。ビールをあおりながら、目を細めて俺のことを上から下までじろじろと見る。やがて、諦らめたようにひとつ息をつくと、さっき俺が思いっきり凝視していたものへ視線をやった。
「見たろう」
「はい」
「何で俺がお前を抱かないって言ったか分かったろ」
 え?…分からない…何を言いたいんだ。俺はもう一度後ろを振り返ってその家具を見た。不審そうに振り返る俺を見ると、神崎は、今度ははっきりと俺に聞かせるためにため息をついた
「あれは、手枷だ。そして、俺は、サディストだ」
 それがどういうことか分かるまでものすごく時間がかかった。そして、分かった時は全身に鳥肌が立っていた。つまり彼は、相手をあそこにつなぐような性癖の男ってことだった。
 まったく想像もしていなかった事態。改めて分かってから、部屋を見回すと、確かに、それらしい道具があちこちに堂々と置かれている。棚に並べられているステンレスのオブジェやイタリアングラスのディルドォ。そして壁にかかっている大きなパドルや鞭。
「だから、俺はお前を抱かない。それでも、訪ねて来たいか?」
 来たい。その言葉だけははっきりとネオンサインのように俺の胸に点滅する。
 彼に会えるなら、何でもいい。もう、今さら彼を諦めるなんてできそうにない。俺は、餓えて干からびて死んでしまうような想いをするだろう。うなずいた俺に、神崎はさっきよりも、もっと深い溜息を聞かせると立ち上がって飾り棚の引き出しから二枚の紙を取り出して、俺の目の前に置いた。STDとHIV検査の紙だった。陰性…。
俺は訳が分からず彼の顔を見た。
「検査を受けたことは?」
 俺が首を横に振ると、神崎はそうだろうなというように、ひとつうなずくと、その紙を取り上げてまた引き出しに戻す。
「次に来る時は、お前もこれを持って来い。どういうアクシデントがあるかわからないのに、素性の知れないゲイの男を引き込むのはごめんだ」
 俺は顔を赤くして黙ってうなずいた。しばらく考えて、おそるおそる質問する。
「遊びに来ても、かまわないってことなんですか?」
 神崎はにやりと笑って腕をソファの背にかけた。
「かまわないぜ。お前にその度胸があるのならな」
 一瞬目を瞑ってから、俺は背中の向こうにある恐ろしい道具のことを考えた。今は、もう、振り向いてみることさえも怖ろしい。俺は、ただ固くなって背中だけでその気配を探ってしまった。固まっている俺に神崎は白い携帯を差し出した。
「携帯の番号を置いて行けよ」



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 保健所に電話した。検査日は月2回木曜日の午後一時から二時半まで、電話予約が必要で結果は一週間ほどで出ると説明された。
 智哉のところに入り浸っていて、そういうものがあるってことは分かっていたのに、自分自身がHIVや、他のSTDにかかっている可能性なんて、一度も考えていなかったことに笑えた。だが、もし、罹っていたら?神崎は二度と俺を家に入れてくれないだろうし、自分自身何かしら生き方を変えないといけない。
 …ああ…そういうことよりも俺は、神崎が俺を受け入れてくれるかということばかりを考えていた。陽性と言われて、もう二度と会えないって言われたら、俺はそれに耐えられるんだろうか。
 考えなくてはいけないことはもうひとつあった。あの首枷に代表される彼の性癖のこと。サディスト。それがどういうものなのか俺はまったく知らなかった。そう言われれば、最近若い男女の間でそういうプレイをセックスの味付けに使うという話を聞いたことはある。ダンスをやる女性が女優として有名な映画をリメイクして、体当たり演技で大評判になったということも。
 情けないことにそれ以外の俺のSMに関しての知識は、縄で縛る。鞭で打つ。蝋燭をたらす。の三点セットだった。
 とにかく痛いはずだ。それから、辱める。それを想像すると、どうにも耐えられないような気がする。考えてもみて欲しい。好きな相手にそんなみっともないところを見せたい奴がいるだろうか?
 少しでも自分のことをよく見せたい相手に、一番見て欲しくない浅ましい姿を晒さないといけないなんて…。二年ほど前まで誰の前でも平気で服を脱いで、何人もの男と遊び歩いていたのに、今、神崎の前でそれをやるのかと思うだけで膝から力が抜けていくような想いだった。
 それでいて、あいつの手が俺の体にふれることを考えるだけで、痺れるような興奮も感じてしまう。いや、待て、あいつは俺を抱かないと言った。まだ、何もSMするって決まったものでもない。それでも俺は、やっと四歩。次を踏み出すことが出来れば五歩。もう、後戻りする気は微塵も無かった。
 ためらいと不安を押し込めて俺はマンションを訪ねた。どうしても行く前に電話できなくて、だから、追い返されても仕方ない…。そう思いながらインターホンを鳴らした。彼は、今度は、相手が誰かを確かめてから、玄関のオートロックを外してくれた
 ドアを開けると、緊張で固くなっている俺を呆れたようにじろじろと見た。俺が、保健所での検査結果を差し出すと、その紙をよく見もしないで、ただうなずいてドアを大きく開けて入れてくれた。これで、素性を確かめたゲイに昇格したのか?
 居間に入ると、相変わらず一番に目に入るのはあの手枷だった。俺はぎくりとして目をそらし、それを見て、分かっているというように薄く笑う彼の視線にどきまぎしてしまう
「めしは食ったのか?」
 おそるおそる座ったソファの上でとびあがってしまう。さすがに、電話も、しないでやってくるのに、食事をすませないではこられなかったうなずいた俺に、カウンターの上にあったワインを注いだグラスを持ってくる。
「俺はこれからめしなんだ。いいか?」
 コクコクとうなずくと、奴は困ったように笑いながら俺を覗き込んできた。
「そんなに怖がるな。いきなりとって食ったりしない」
 食われたい…いや、違う。今のは、晩飯の話だった。神崎は俺をソファにほったらかしたまま、居間とキッチンの間にあるカウンターの高いスツールに腰掛けて、食事を始めた。
 俺はその後姿を見ながらグラスのワインを舐めていた。ブルーの覆いのために青みがかった照明と部屋に流れてる静かなピアノの音楽が、部屋の中を、まるで水族館のように静かで深い空間に彩っていくのを感じながら。
 海の底。泳いでくる魚。あんなに広い海の中、なぜ、出会うことが出来るのだろう。尻尾をそよがせながら白い砂の上を這うように、静かに泳いでくる。手を伸ばせば触れられそうだ。触れても逃げないのだろうか?そう思って手を伸ばすと、くるっと身をひるがえし砂を巻き上げる。手に入りそうに無い。
 触れることのできない綺麗な生き物。俺は、彼の背中を見つめて溜息をつく。ようやっと五歩。この先どこまでいけるのだろうか。せめて、この瞬間を忘れないように、胸の奥にしまいこもう。あいつの背中。傾けられた頬。そして伸ばされる指先。
 その指先がすっと俺の頬を撫でて、始めて俺は食事をすませた神埼が俺の前まで来ていることに気がついた。
 ぼんやりと夢想に浸って、あいつの動きを追っていたせいで、トリップしてしまっていたらしい。神崎は何も言わずに俺の横に座ると、不思議そうな表情をして俺の唇の上を中指と人差し指でなぞった。そして頬を、額を、眉を…。ぼんやりとしていた俺は、目を閉じて彼の指の動きを追う。次に目を開けた時、神崎の顔が目の前にあった。…キスしたい。口にしたつもりは無かったのに、問いかけるような瞳をした神崎は、ゆっくりと体を寄せてきて唇に唇を押し付けてきた。


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