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短編

ここでは、「短編」 に関する記事を紹介しています。


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性的、暴力的な表現を含んでいます。
虚構と現実の区別のつかない方
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 木の幹にくくりつけられて吊られた足が、痛い。ギリギリと足首に縄が喰い込んで来る。後ろ手にきつく縛められた手首が、仰向けに地面に横たわっている身体の下敷きになっていて段々と痺れてくるのが分かった。もう、春も近いと感じる陽気で早々と庭の桃の花がほころんでいるのに、夜もふけた今頃の時間には深々と冷え込んで、地面の冷たさが容赦なく体温を奪い取っていく。じっとしているのが辛い。どうにかして楽な位置を探そうと肩に力を入れて身体の向きを変えた。その途端に、ずきっと吊られた足首に痛みが走って、努力が徒になっているのが分かった。はあっと、溜息をつく。その息が空中に白く広がっていく。
 縁側の上から、この有様を眺めて月見酒としゃれ込んでいる先生が、僕が辛さのあまりにもぞもぞと蠢くのを見て、いっそう喜んでいるかと思うと腹立たしかった。
「暁、痛む?」
 頭の上から、のんきな声が訪ねてくる。彼はこの家の主人。そして僕にとっては、あれこれと指導してくれる尊敬する師であり、主人でもあり、なぜそうなったのか皆目見当も付かないのだが情人でもあるのだった。
「痛い。もう、解いてください。」
「だめだよ。これは、お仕置きなんだから。痛くしないと意味がないでしょ。」
「悪い事なんてなにもしてない・・・。」
「そうかな?」

 何が、気に入らなかったんだろう?帰宅してからやけに上機嫌な様子で絡んでくるから、嫌な予感はしていたんだけど、何も釈明できないうちにこんな仕打ちを受けることになってしまった。逆らえば、もっと酷い事になるのは分かりきっているから、大人しく彼に言われるままに縄に身を委ねたものの、地面に接している背中と剥き出しの手足に深々と突き刺さってくる冷気は、縛めの縄以上に苦痛になって来ている。
「正直に言わないと、辛い事になるよ。」
 嬉しそうににんまりと微笑しながら、着物の裾を捲ってくる。逆さに脚を吊り上げられてるから、すでにはだけて身体を覆う役目を果たしてはいないとはいえ、かろうじて隠されていた身体の中心までが露に剥き出されてしまったのには赤面せずにはいられなかった。
「どう?」
 蛇がずるずるとにじり寄って、ちろちろと舌なめずりをしているような悪寒が背筋を走る。だが、彼の掌が僕の冷え切った足の脛の辺りにぴったりと張り付くと、その熱さと湿った掌の巧みないたぶりに身体が魅せられてしまうのはどうしようもなかった。ゆっくりと足の付け根に向かってさかしまに這いずってくる彼の掌が、まるで絡みついたままずるずると移動する蛇の蠕動のように感じ、その不気味さが普段は必死に隠している僕の被虐への憧れを逆撫でしてくるのだった。

 ぎゅっと目を瞑り身体を固くする。先生のくすくすと洩らす笑い声は途切れることなく、僕を追い詰めてくる。熱い。さ、わらないで。溶けちゃいそうだ。足の付け根まで這い降りてきた掌は、膨らみを覆う布の端をなぞりまわす。それは、足の付け根の敏感な所でもあるから、僕は耐えられずに腰を捻ってその手から逃れようとする。もちろん縛られて動けないんだから、ちょっと身もだえしたってどうしょうもない。それでも、じっと動かないで耐える事なんかできない。 
 声にならない悲鳴が口から洩れる。その僕の反応を確かめながら、掌はまたゆっくりと足首へ戻っていく。どういうわけか、膝の内側や脛の固い所が、なぜこんなにと思うほど感じる。こんな場所が感じるのって僕だけなんじゃないのか。それなのに、先生の手からどうしたって逃げられない、この状況。先生が、僕がその場所がとても感じやすいと分かっていて、一層煽り立てるように撫でまわす間、じっと歯を喰いしばってその手が通り過ぎるのを待つしかないんだ。多少暴れたって、手足に縄による擦り傷を増やす事くらいしかできない。
 焦らすような残酷ないたぶりは、足首の所を通り過ぎる時に、縄目の上をぎゅっと一瞬握って、それから甲の方へ移っていく。
 あ、あ、あ。やめて。くすぐったい。あ、はぁ・・・う、くるくると指先で円を書くように指の先まで行った彼の手は、もう一度同じ軌跡を辿って降りてくる。二度目は、身体が味をしめてるから、さっきよりもずっとずっと感じてしまうんだ。絡み付いてくる右手をそのままに、左手が伸ばされると僕の腰を覆っていた布の結び目へもぐりこんでくる。器用な先生は憎たらしい事に両手利きで、危なげも無く、するすると結び目を解いていき、下腹を覆っていた布は引き抜かれていく。
 さっきからの愛撫に、僕はもう、すっかり勃っちゃってる。その上をずるずると布が滑って行くんだ。堪らないよ。僕は、誰にも聞かせたくないような、裏返った叫び声を上げて腰を持ち上げてしまう。しゅうううっと抜き取られた布が、はらりと投げ捨てられると、何もかもがむき出しになったからだが冷えた空気の中で、熱くなった存在を主張してひくっと跳ねた。

 いくら相手が同じ性を持った男でも、さっきからのいたぶりに煽られて、滴を振り零し、ぬるぬるてらてらと光っているその場所を見られる恥ずかしさったらない。相手も裸ならともかく、先生はきっちりと乱れなく着物をつけたままなんだから、一層恥ずかしい。見られるのが恥ずかしいって言うよりも、こんなに反応しちゃって、今もびくびくと痙攣を繰り返しているその有様が、僕の本当の気持ち、僕の身体がモトメテイルモノだと思うと、いたたまれない気持ちになってしまうんだ。
 尊敬する大好きな先生にだけは、こんな、みっともない状態になって触れられるのを求めている淫売だなんて思われたくない。ところが、身体のほうは勝手気ままに暴走し、一番見られない所を見られたくない相手に大判振る舞いなんだ。恥ずかしさに、さっきまで蒼褪めていた身体は赤く染まり、汗に濡れてくるのが分かった。
「おや。お仕置きをされてるのに、どうい訳で勃ってしまったのかな。君は、こうやって縛られて弄られるのが好きなのか。」
 そんな事おっしゃられても、先生のそのいやらしい触り方に、反応しない奴がいたらお目にかかりたいくらいだ。
「これは、もう少し厳しくしないといけないか。」

 う・・・なにをどうするっておっしゃるんですか。僕はやましい事は、何もしてない。訴えようとして必死に顔を上げると、先生がにやにやしながら、古木の根っこのように瘤瘤のついた男根を擬した道具をお腹の上に置くのが見えた。え、え・・・。まさか、これを使おうって言うんじゃないですよね。
 僕は、まだ、男を受け入れるのに慣れて無くって、先生のご希望に沿うのも死ぬ思いなのだ。ましてや、大きさが同じだとしても固い水牛の張り方なんか使われちゃ壊れてしまいかねない。
「先生。先生。お、お願いです。許して。許してください。」
「謝罪するという事は、自分のどこが悪かったのか分かったのだろうね。」
 分かるはずがなかった。まるで、心当たりがないのだから。でも、ここでごねて見せてあんな道具を突っ込まれるよりは、なんでもいいから謝ってしまった方がずっとマシという物ではないだろうか。
「で、何が悪かったの?」
 先生の両手は僕の震え上がった気持ちとは裏腹にぴんぴんと元気に跳ねているそこを、しっかりと握っている。先走りが、腹の上に滴り拡がりを作っているのをすくっては、敏感な場所に塗り拡げる作業を繰り返してくる。あまりの直接的な刺激に僕は喘ぎながら仰け反った。痺れきった後手の握りこぶしが地面の上と身体の間で擦れ、擦り傷が出来ているのか酷く痛むが、そんなことに構ってられない状態だった。握りしめられたものを容赦なくしごかれて、あっという間に高まっていく。
 あ、あ、あ、あ・ぁ・・う・・う・・・ぅあ・・あ・・あ・・・「逝ける!」そう思った瞬間にぎゅっと根元をきつく握られる。痛い!手加減無しに締め付けられて、ほとんど間際まで来ていた身体は、空打ちするかのようにびくんびくんと痙攣する。だが、実際は射精していないんだから苦しいばかりだった。僕は必死に吊られた足を木の幹に突っ張って、異様な感覚をやり過ごすした。
「おやおや、どうやら、だめらしいな。」
 何が、だめだったんだろう。何を、要求されていたんだ?逝くギリギリのところで止められた事で、もう、頭はちゃんと物を考えられる状態じゃなかった。

 先生は立ち上がると木の幹に縛られた左足の縄を解き始めた。身体は右足だけで吊られる事になり、背中が地面についているのも何の役にも立たないくらいに、ズキズキと足首が痛む。力なくどさっと地面に落ちた左足に先生は膝の所へ新たな縄を足してぐいっと胸縄のほうへ引き上げた。胸を押すように太腿が身体にぴったりとつくまで縄を引くと、何重にも縄を掛けまわして一箇所に力が掛からないように分散してくれる。その気配りはありがたかったが、脚がぱくりと開かれた事で、あの張り方を本気で突っ込む気なのかと一気に蒼褪めてしまった。さっきまで欲求不満を訴えていた、節操無しのあそこもあっという間に萎えていく。

「先生。お願いです。やめて。やめてください。耐えられない。そんな事、しないで。わ、悪いところがあるなら直します。ほんとに分からないんです。お願い。」
 頭を上げて必死に懇願する僕の泣き言を先生はうなずきながら聞いていたけれど、その手はぱっくりと開かれて、どうとでもしてください。と天へ向けられているそこにとろとろと不思議な柔らかさのある脂を垂らしては、普通に生きていれば決して他人に見せる事などないはずの菊座を揉み解し続ける。

 物理的な刺激って、無情なもので、大人しくなっていた身体は快感の予感にむくむくと勃ちあがりはしめていた。最初は、排泄感と異物感と鋭い痛みの繰り返しだったその場所への愛撫も、回数を重ねるごとによくなってくるのは不思議なものだった。いや、今だって同じ感覚が無くなったわけじゃないのだけど、どこかしらその苦しみの隙間に、一瞬に閃くように快感が奔り抜け、そして、その閃きを追いかけるかのように前が反応し始めるといったい、痛いのかいいのかよく分からない感覚が交互に高まってくる。
「や、やめ・・・・て。いや。いやぁ・・・・。」
 吊られた右足を軸に身体を捻ろうとすると痛みに足首が千切れそうになり、大人しくいたぶりに身を任せようとしても勝手に蠢いてしまう身体を抑える事は出来ず、ゴリゴリと下敷きになった手首を痛めつけてしまう。ようやくほぐれて感じ始めてきた身体の中心の快感が高まってきても、その痛みが我を忘れるのを引きとめ続けていて、どうやってもその行為に没入できない・・・。
 その上に腹の上に乗せられたままの冷たい張り方の存在がある。そのことが頭の隅にずっとあって、忘れられなのだ。恐ろしい。こんなに大きくて固いもの。一度だって入れたことが無いのに・・・・。喜びと痛みと恐怖と・・・。三方から押し寄せてくる、全く違う感情に翻弄されて、僕は耐え切れずに泣いてしまっていた。涙がたえまなく流れ、周囲もよく見えない。
「こら、これっくらいで泣く奴があるか。」
「だって・・・・。」
 堪えきれずに、しゃくりあげてしまう。先生の指が体の中を出入りする、その感覚だけを必死で追う。これは、いつもの行為。いつもの手順。いつもの快感。だが、腹の上の重さが急に無くなり冷たい硬質なそれが押しあてがわれると、到底黙っていられないほどの痛みがめりめりと身体を引き裂き始め、辺りがあまりの苦痛に真っ白になって、僕は開いた口から息を吸う事も出来ずに固まってしまった。痛い。
「あ・・・・・。」
「息を吸って、自分から吸い込むんだ。」
「無理・・・・。」
 搾り出そうとした言葉も形にならずに宙に消えていく・・・。その時、いきなり先生の唇が僕の唇に重ねられたと思うと、息を思いっきり吹き込まれた。僕は本能的にそれを吸い込もうとして口を開けた。その瞬間、何がなんだか分からないままに剥き出しの痛みが僕を引き裂いた。

 裂けた。それは、分かる。血の臭いがして、生暖かいそれが、身体を伝い降りてくるのが分かった。ああ、それともそれは気のせいか。身体中がずきずきと痛くて上も下も分からなくなってるのに、そんな微細な感覚が分かるものだろうか?そんな役にも立たない事を考えてるうちに、引き裂かれた身体の中に大きな塊が入ってくるのが分かった。それも繰り返し。繰り返し。いつまでも。いつまでも。痛みの大きなうねりに飲み込まれる。波は次々と襲い掛かってきて、息を吸う、きっかけがない。
「力を抜け。」
 なに?なんだって?無茶を言わないでください。先生。この荒れた海が見えないんですか。嵐が来てる。僕たち遭難しちゃいますよ。高波が・・・ほら、僕を飲み込む。打ち付けられる。引きずり込まれる。なにも、見えない。
 次にやってきた波は今までの波よりも高かった。僕は水面に打ち上げられ、その瞬間に本能的に息を吸った。稲妻が走ったように鋭い快感が身体の中心を走りぬけ、僕は意識を失った。

 その夜、ようやく意識を取り戻した僕は、先生の布団の上にうつぶせに寝かされている事に気がついた。冷たくてひんやりとした感覚が足の間に滴って、先生が手当てをしてくれているのが分かった。
「暁。大丈夫か。」

「・・・・全然、大丈夫じゃありません。」
「おい・・・。」
 先生のいつものくすくす笑いが聞えて、僕はちょっとほっとする。お怒りはもう、治まったらしい。
「先生、なぜ怒ってらしたんです。僕・・・何をしてしまったんですか?」
 思い切っておそるおそる尋ねてみる。怪我の一番酷い時に訊いておかないと、後へ伸ばしたりすると、また責められて自分の首を締める事になりかねないのだ。

「なにも。」
 僕は、目をパチパチと瞬かせ・・・先生がおっしゃった言葉の意味を考えた。痛みにぼんやりした頭はその事実を理解するのを拒否していたけれど。
「何も・・・?」
「ああ、『お仕置き』と言われるとおまえが、おびえるのがつい可愛くてね。」
 僕は、師に、向かって、怒鳴りつけてしまうという事態を招かないように顔を乗せていた枕に歯を立てて口をぎゅっと押し付けた。そうだった。そうだったんだ。この人はこういう人なんだ。なんで、すっかり忘れていたんだろう。必死に自分の中の怒りを枕に向かって吐きつけていたのに、先生はひょいっと手を伸ばして、僕をひっくり返してしまった。すぐ目の前に、先生の笑っている目があった。
「おまえ、嫌なのか。俺に虐められるの。」
「・・・・・・・嫌じゃ・・・ありません。」
「ほんとに?」
「ほんとです!」
 先生はむきになって怒鳴り返した拍子に走った痛みに僕が顔をしかめるのを見て爆笑した。ほんとは、ほんとは、虐められるのなんか好きじゃない。痛くされるのも。恥ずかしいことも。好きなんかじゃない。こんな仕打ちされて腸が煮えくり返りそうだ。だけど、だけど・・・。

 先生は好きなんだ。

 僕は心の中で溜息を付いた。



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 急な予定変更で休日出勤を余儀なくされた志方は、朝から向き合っていた書類の最終チェックをしていた。もう、すでに斜めになり始めた日差しが部屋の奥の方まで届くようになっている。パーティションで仕切られているとはいえ60人分ほどの社員の机が並ぶ、誰もいないオフィスには空調の音が静かに響いているだけだ。凝り固まった肩を回して、うんと背伸びをした。上着は、すでに朝この部屋に入る早々に脱いでしまい、椅子の背にかかっている。終日パソコンと向きあっていたせいでチカチカとする目をぎゅっと閉じて、目頭を押さえた。
 キイッっとかすかなドアの音がして、志方は顔をあげた。ドアを開けて入ってきたのは同じフロアの一番端の部屋で仕事をしている同僚の高野晃だった。二つ年下の彼は、すっきりと細身の肩をダークグレーのスーツに包んだ、整った顔立ちのどこかしら垢抜けた男である。こんな殺風景な会社のフロアではなく、どちらかといえば六本木辺りのしゃれたバーのカウンターにいた方がよっぽど似合うのではないかと思ってしまう。高野は志方をみつけると、フロアを横切ってまっすぐ彼の方へやってきた。高野の動きは、特に他人と違う振る舞いをしている訳でも、しゃれた格好をしている訳でもないのに、どこかしら清清しく人目を轢き付ける。


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「仕事終わった?」
 視線を合わせてにっと笑うと高野は前髪を掻き揚げた。そんなしぐさがよく似合う、あまりの色っぽさに志方はパチパチと瞬きをして、相手の顔をまじまじと見てしまう。
『コレって、誘ってるんだろうか・・・。』
 実は、ふたりは半年前から付き合っているのだった。きっかけは、なんという事もない。誰か先輩の移動に伴う送別会だった。普段ほとんど酒を飲まないように見えていた高野が、どういうはずみか酔っ払ってしまったのをたまたますぐ傍に座っていた志方が引きずって帰って、自分の家に泊めたせいだった。
 志方がふと、夜中に目が覚めて、なぜか起き上がってぼんやりと座り込んでいる高野に声を掛けると、不思議そうな顔でこっちを見ていたと思う間もなく倒れこんできた。お互い、知らない仲じゃなく、そう、どちらかと言えば仕事の息は合うほうだったし、会話も交わしていたんだけど、だからと言って、そういう展開になるなんて、高野を家に連れ帰った時点では、志方もまったく考えていなかった。自分の性癖について高野に仄めかした事も無く、相手もそれらしいことは何も示さなかったから、お互いに相手はノンケだと思っていたと思う。
 だが、もつれ合ってみれば、あっという間に知れてしまうの当たり前の事だった。そして、いつの間にか、お互いにお互いの気持ちを確認する事もないままに、週に一度はどちらかの家に泊まったり、一緒に食事に出かけたりするようになっている。

「ああ、うん。おまえ、今日はなんで会社にいるんだ。」
「拓真が、休出って、女の子が言ってたから見に来ただけ。」
 高野は志方の座っている椅子の縁にちょっと左膝を乗せると、机に手を付いて乗り出してきた。志方の手に持っているさっきプリントアウトしたばかりの書類へ手を伸ばすとぺらりと捲ってみて、にやりと笑う。
「うん、終わってるね。」
「せっかくの休日が台無しさ。」
 志方はチェックした書類を揃えるとホチキスでしっかりと綴じて、新しい封筒へ滑り込ませた。明日、課長に確認してもらってから、コピーを取る事になるだろう。机の一番上の引き出しに放り込み、鍵を掛ける。
「この後、暇なら、どっかへ食いに行くか?」
「ああ、うん、そのつもりで来たんだけどさ・・・その前に。」
 うん?と訊ねるように顔をあげた志方の唇に高野の乾いた唇が重ねられた。キスに気を取られていると高野は椅子の肘掛に手を乗せて椅子を滑らせた。おっと、と慌てて自分もその腕を握ってバランスをとったが椅子は二人の男を乗せて通路を滑り、一番端の壁にぶつかって止まった。

「おい、あぶないだろうが。」
 くすくすと笑う年下の恋人は、悪びれる様子も無く身体を起こすとオフィスの広い窓を覆うブラインドの紐を引いて閉じた。ジャッと派手な音を立ててグレーのブラインドが降りてくる。向かいのビルから丸見えなのだから、ブラインドを閉めるのはいいとしても、この危なっかしい平行移動はいったい何のためだったのか。眉を上げて問いかける志方の両肩に手を掛けると、高野はゆっくりと首筋へ向かってその手を滑らせた。
「あそこ。」
 ちらっと今、志方が座っていた机の方へ視線を走らせる。
「カメラから丸見えなんだよね。」
 防犯カメラという名目で室内のあちこちに仕掛けられているカメラは社員の仕事振りを克明に観察するためではないかというもっぱらの噂だったが、全く気にしていなかった志方は自分の席が、そのカメラの真正面にあることを示唆されてがっくりと肩を落とした。今、その監視カメラの目の前で軽くとはいえ二人は男同士でキスをしてしまったような気がする。

 改めて志方の足の間の椅子の縁に膝を乗り上げさせた高野は、器用な細い指で志方のネクタイを解き始めた。えんじ色の地色に白や黒の斜めのストライプの入った、いたってスタンダードなネクタイがするすると彼のワイシャツから抜き取られていく。
「おい、どうするんだ。まさか。ここでやるとか言うんじゃないだろうな。」
 カメラの件で思わず脱力している志方の目の前で、高野はネクタイに人差し指を掛けるとぐいっと緩めた。ゆっくりと思わせぶりなしぐさでネクタイを解く。
『・・・こいつは。』
と、志方は心の中で感心していた。
『なんで、こんなにいろっぽいんだ。』
 特に綺麗だとか華奢だとか思ったことはない。やってる事だって、ただネクタイを解いているだけだった。だが、どういう訳かこの男、なんでもない仕草さえ、やたらとそそる所があった。身体の関係が出来るまでは全く気が付かなかった以上、これは、志方だけに向けられた高野の気配なのだった。
 志方が思わず恋人を抱き寄せようと腰に手を廻すと、高野は軽くその手を払った。それから、改めて仕方の足の間の椅子の縁に膝を乗り上げて、高野は、器用な細い指で志方のネクタイを解き始めた。えんじ色の地色に白や黒の斜めのストライプの入った、いたってスタンダードなネクタイがするすると志方のワイシャツから抜き取られていく。
 一度は持ち上げた手をもう一度肘掛の上に乗せていた志方は、高野がそのネクタイを彼の手首に巻き付けたのを見てちょっと目を見張った。セックスしていて、ちょっとサドッ気の多い奴だなと思った事はある。それ以上にマゾッ気がありすぎるんじゃないかと思った事もあった。肩に噛み付いてきたり、乱暴に扱われたがったり・・・。だが、こんな風にあからさまな行為に及んだ事はまだ無かっただけに、それが、オフィスの中という事もあって意外だったのだ。右手首にネクタイを結び付けた高野は脚を使って椅子をくるりと廻した。大急ぎで手を伸ばして志方の左手首を掴む。椅子の後ろでひとつにくくり合わせるつもりなのだろうが、抵抗されるのを怖がっているような慌ただしい動作だった。

 『どうしたもんかなぁ。』
 志方はのんびりと考えている。別に、SMするのに抵抗があるわけじゃない。だが、その場合、ほんとにこいつはSなのかしらん。そう考えを巡らしながら、もう一度くるりと椅子を廻して壁に押し付けた高野の瞳を、まじまじと覗き込んだ。後ろめたそうに視線を逸らした高野が自分のしている行為の意味や結果についてよく分かっているとも思えなかった。
「どうしたいんだ?」
「やりたい・・・。」
 動けなくなった志方の首に、腕を廻して高野はしがみついてきた。肩にぎゅっと押し付けられた頭が切なげな溜息を付く。
「やるだけなら、縛らなくてもいいだろう。」
 答えはない。高野は、ただ、黙って腕に力を込めた。




 ギシッ・・・椅子のバネがきしむ。水の中で動くようにどこかしら不可思議な動作で高野は立ち上がると後ろに下がった。そして、椅子から動けない俺の前で、ポケットに手を突っ込んで考え込んでいる。まだ、どうしたらいいのか決められない・・・そんな迷いがありありと表に出ている立ち姿だ。




 踏ん切りがついたのか、やがて高野は、服を脱ぎ始めた。ワイシャツのボタンをひとつずつ外していく。出来るだけ時間をかけて、もったいぶって、ゆっくりと、ひとつずつ。今時には珍しい白いワイシャツの前がはだけると滑らかな肌が少しずつ露になっていった。
 すでに腹までボタンは外されている。ベルトを引き抜き、両手を腹に沿わせながら後ろへ滑らせながらシャツの裾をズボンから引き出して行く。




 見た目はすごく華奢なくせに、サーフィンをやるせいか高野はしっかりと筋肉のついた身体をしてるのだった。慣れ親しんで隅から隅まで知っている身体。男同士だから、別に恥ずかしいわけでもない。だが、明らかに異常なシチエーション。誰もいなくても会社の中でこんな事をしている事が志方の頭をくらくらさせる。腕を縛られていて、どうしようもない。しかし、こんな所へ誰かやってきたら、全く逃げようが無く、どう言い訳のしようもない。




 くらくらしてくる頭とは全く別の所で冷静に、相手のしぐさを見つめる自分がいる事に志方は戸惑っていた。その時、志方の腕を縛ってから初めて高野が顔を上げて、しっかりと志方の瞳を見つめ返した。一瞬の躊躇いの後に視線はゆっくりと逸れて行く。どこを見ているのか分からない高野の様子は、まるで恥ずかしがっているようで、志方は新鮮な想いで彼の仕草を見つめ続けた。




 ものすごく躊躇した後に、高野は、シャツの肩をはだけて見せる。見せるために技巧を凝らしてる訳じゃないという精一杯の虚勢を張って。だが、街頭に立つ娼婦を思わせるようなそんな仕草があまりにも似合う男に、志方は魅せらられるようにじっと見つめずにはいられなかった。思わせぶりに溜息を付くと、高野の手は今度はズボンのボタンへと降りていく。




『おい、おまえ、それはやりすぎだろう。』
 志方は、心の中でそう考えながらも、高野の行為を止めなかった。ここまで来たら、行くところまで行かないと・・・おさまりがつく筈もない。だが、その、行くところはどこなのか。高野が考えている事が全く分からない以上に、志方は自分がこの事態を楽しんでいる事が不思議だった。縛られているのは志方なのに、責められているのは事を進めている高野の方のような気がする。




 服がその重みで滑り落ちていく間、高野は一瞬目をつぶった。シャツは、まだ、身体にまとわり付いたままだ。
『本気で全部脱いでしまうつもりらしい。』
 志方が内心で呆れていたのは、高野のその振る舞いではなかった。それよりもずっと驚きを感じているのは、高野がどこまで自分を追い込めるのかを楽しんでいる自分の気持ちだった。
『俺は・・・。もしかしたら、高野は俺も知らないこの気持ちを・・・?』
 自分から仕掛けて挑発した高野が、最後に来て、初めて辛そうに顔をゆがめるのを見て、志方はぞくぞくと肌が粟立つような興奮を感じた。




 全裸になった高野は、見せ付けるようにゆっくりと近づいて来て、もう一度志方の首に腕を廻して抱きついてきた。切なげにわざとらしく溜息をついてみせる。それから、力を抜くとそのままずるずると足元に滑り落ちていく。そして、志方のズボンのチャックを素早く降ろすと、いつもの手順で引っ張り出したそれをするりと口の中に納める。




 ぴちゃぴちゃ・・・。舌が鳴る淫猥な音を聴きながら、足元から昇って来る強い快感を堪えながら、志方は猫がミルクを飲むように一心にそれをしゃぶっている相手を見つめ続けていた。責められてるのは縛られている志方なのか。それとも床に全裸でぺったりと座り込んで男の物を銜え込んでいる高野なのか。その血の味がするような加虐を味わっているのは、主導権を握っている高野なのか。それともなすがままにされた志方なのか。なりゆきで繋げた身体が導き出した二人の関係が、この先どこへ行くのか。それとも行かないのか。志方は歯を喰いしばり、先急ごうとする自分の欲望を押さえつけた。

 ただ床に跪いている相方のその姿をずっと見ていたいために。




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 本宅の方で、スパンキング動画をご紹介する際に、お仕置きの物語を書く事があります。スパンキングのお仕置きって、完全ワンパターンです。どんなにいろいろと工夫しても要するにお尻を叩くだけ(笑)
 いや、ワンパターンになるのはさやかの実力不足のせいもあるんですけどね。しかし、サンプル動画の方だって同じ事であります。特にサンプルでは前後のシチエーションまで詳しくないので女性がお尻を叩かれてるだけなのです。(まぁ、アダルトビデオだってただ「やってる」だけで多少シチエーションを変えたってワンパターンだと言えばそうなんですが)このサンプルを毎回ちゃんと観ている人ってホントのスパ好きだけだと思います。
 そのサンプルにせっせとリンクを張っているさやかって、そうとう重度のスパンキング・フェチです。さやかの中では、「人形のように」に書く物語とは、ちょっと違うはずなのですが・・・。「半陰陽の花・・・」が、こっちに引っ越してきたのも、そのせいだったりします。で、さやかの中では、第一作目の「メール調教ユキ」は、本宅向けの話だったなぁ・・・っと。今さら、引っ込められませんが。その違い、分かる人はいるかなぁ。くすくす・・・。


★美由紀★


お仕置き・20
お仕置き・21
お仕置き・22
お仕置き・23


★ラブ・すぱんきんぐ★


お仕置き・24
お仕置き・25
お仕置き・26


★ クロード ★



お仕置き・27
お仕置き・28
お仕置き・29
お仕置き・30





 お尻を叩かせてくれると言い出したのはバーで出会ったばかりの男性だった。最近流行のブラックスーツにめずらしい白いワイシャツ。そして、濃淡のグレーのドット模様のネクタイ。地味になりそうなくらいにシックな取り合わせなのに、爽やかで垢抜けた印象の着こなしの彼は、物静かに低い声で優しくささやく人で、私はいつの間にか警戒感を失ってしまっていた。なぜ、そんな話になったのかよく覚えていないのだけど、いつの間にか話題がスパンキングの事になっていて、その彼はそういう性癖についての知識がまったくないようだった。
「なぜ、そんな事をするんですか?」
 不思議そうに微笑んだ彼の嫌悪を微塵も感じさせない表情に、私はついつい、深入りをしてしまったのだと思う。普段は絶対に誰にも明かさない、フェチな性癖への興味を、今日あったばかりの男性に打ち明けてしまうなんて。
「だって、どきどきするんだもの。どうしてなのか分からないけど・・・。子供の頃から。だから、最初からそれが好きだったんだと思うわ。」
しばらく彼は、私の手を見つめてロックの氷をからからと廻していた。
「叩かれた事があるんですか?」
「ええ。去年別れた彼に・・・。ちょっとSが入ってる人だったんだと思うけど。」
 私は、好きだった人の顔を思い出そうとして。そして、思い出せないことに気がついて困惑した。
「ねだって、叩いてもらった訳じゃないの。いつのまにか・・・。で、自分がそれを好きだって確認したの。」

 私はちょっと、うん・・・って背伸びして見せた。思いもかけないことを打ち明けた後、自分が緊張して固くなっている事に気がついたからだ。
「でも、叩いた事はないのよねぇ。もし、叩いてみたら、どっちが本当に向いてるか、分かると思うのに。」
「叩く方が好きな人は、叩かれるのは好きじゃないのかな・・・・。」
「分からないわ。だって、その彼以外の経験なんて無いし。」
私は、内緒話をするように乗り出して声を潜めた。
「この間ネットで動画を見たの。そしたらね。叩く人は教師で、叩かれる女の人は女子高校生みたいな設定だったわ。やっぱり、お仕置きって男の人が女の人を、ってパターンが多いんじゃないかしら。」
 こんな場所で、いい男だけど見も知らぬ相手に、そんな話をしている事にちょっとハイになってきて、頬が熱くなってきた。お酒のせいなのか、囁きを聞き取るために彼も自然と屈んで来て、距離が近づいたためなのか分からなかったけど。
「でも、あなたは叩いてみたいんだ。」
「うん・・・。」
 私は、ちょっと首をかしげた。
「相手が女の子という事も考えてみたの。でも、やっぱり・・・ちょっと上手くないような気がするの。私って、レズはダメなのかもしれない。」
「どうかな。」
 相手もちょっと眉を寄せて考える様子を見せた。
「性的指向とは、無関係なんじゃないの?そもそもお仕置きって恋愛とは無関係でしょう?」
「だって、ありえないような気がするの。まったく、恋愛感情の無い人の前でお尻なんて出せないもの。」
「そうだねぇ・・・。女性はそうなのかもしれないね。男だったら、別に頓着しないと思うけど。」
「ええ?そういうもの?」
「うん。だって・・・男は恋愛感情がなくても、行為が出来るものなんだよ。」
 私は、ちょっとびっくりして、相手をみつめた。確かにその通りだ。だって、男は風俗に行けるんだし。あまりにも当たり前の事実なのに、目の前の相手があまりにも紳士然としていて、とってもそんな風景を想像できなかった。知らない相手とセックスする。たとえば、今、目の前にいる彼と。

 私は、その場面を想像しようとした。もしかしたら・・・。もしかしたら彼が相手なら出来るかもしれない。
 ああ、でも、それは彼が私にとっては、とっても好みの男性で、しかもとってもハンサムで格好がいいせいかもしれない。
 そうじゃなかったら、できないだろう。たとえ見知らぬ相手でなくても・・・。私は仲のいいボーイフレンド達をあれこれと思い浮かべてみた。趣味が同じで、話していても楽しくて・・・長い付き合いの誰彼を。ううん。だめ。できない。愛していない男性となんて。そう結論付けて、もういちど目の前の彼を見る。彼となら、出来るような気がするって事は・・・私は会ったばかりのこの男性を好きに成り始めてるんだろうか・・・・。
「僕で試してみる?」
 ええ!?にっこりと微笑んだ彼に、息を呑み、考えていたのを見透かされた恥ずかしさに赤くなってしまう。それでも走り出した鼓動は確実に、私が彼に急速に好意を感じ始めている事を私自身に教えてくれていた。





 バーを出て、二人で行ったのは、ちょっと歩いた所にあるファッションホテルだった。自分の大胆さに呆れてしまう。正直言うと、あんまり、こういう所に行った事が無い。付き合った男性は二人。二人とも一人暮らしでアパート住まいだったし、私自身も一人暮らしだから、特にホテルに行く必要性がなかった。それも、今日会ったばかりの男性と二人きりになろうとしている。
 別にエッチしようという話になったわけじゃなくて、お尻を叩くのが目的だけど、いい齢をした男女が二人でホテルに入って、しかも服を脱ぐ行為をした後になにも無いなんて、ありえないような気がする。やっぱ、相手に「しよう」と言われたら応じるのがマナーなんじゃないかなぁ。そう考えると、自分のやっている事の無謀さに笑えてしまった。お尻を叩くなんて、誰がどう見ても異常な行為だ。そんな事を始めてあった男とやることに比べれば、バーからホテルへ行きセックスに雪崩込む事はあまりにも普通の常識的展開なのに、あれこれと思い惑っている自分がおかしく感じてしまう。

「シャワーを使いたいんだけど。」
「ああ、うん、そうね。」
 スパンキングする前に、お風呂に入る必要なんて聞いたことも無かったけど、でも、相手にしてみればお尻をむき出しにするんだから風呂に入りたいと思っても当然かもしれない。問題は彼が出て来た時に自分もシャワーを使うべきかどうか。私は服を脱がなくてもいいんだから、シャワーを使ったら「そのままセックスしましょう。」って、言っているようなものだった。あー、もう、こんな事をあれこれ考えるなんて、物慣れてない事の証明みたいなものだ。セックスしたから、どうだって訳じゃないし、好みの男なんだから成り行きに任せよう。
 バスローブで出てきた彼は、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
「え・・・と、もう一度服を着たほうがいいのかな。スーツ姿のほうがいいの?」
「あ・・・うん。そうね。道具が無いからベルトを貸してもらえる?私もシャワーを浴びてくるから、ワイシャツとズボンは着ておいて。」
「下着も?」
「下着はいいわ。」
 純粋にスパンキングに付き合うつもりらしい男性は、了解と言うように軽く挙げた手をこめかみの所に当てた。敬礼されたみたいでなんだかおかしくってくすくす笑いながら、バスルームに入る。さっきまでの緊張が嘘のように溶け出して、私は暖かなシャワーの奔流の下に我が身を晒した。一日の疲れを洗い流す。そして、彼に対する隔ても。せっかく、シャワーを浴びたのだから、終わったら、相手に叩かせてみるのもいいかもしれない。ちょっと怖いような気もするが、私の気持ちを無視して乱暴はしないような気がする。それとも、そんな考えは甘いのだろうか。

 ちゃんと髪を乾かしてから、下着だけ着けてバスローブを羽織る。化粧もしっかりと落としてしまったが、だからって、困るほどのちゃんとした化粧をしている訳ではない。鏡の前にある化粧品の中に口紅を見つけたので薄く色を乗せた。さて、いざ出陣だ。

 彼は、白いワイシャツにスーツのズボンを着てソファに座り、氷の入ったグラスを傾けてカラカラと音を立てていた。そういえば、バーでもそうしていたような気がする。きっとそれが癖なのかもしれない。部屋には、スローなジャズが流れていて、思っていたよりも綺麗で新しいホテルの内装が、ラブホテルに来ているって事を意識させなかった。
「何か飲む?」
「何を飲んでいるの?」
「これは、ミネラルウォーターだよ。」
「あ、じゃあ、私もそれにするかな。」
 彼は、並べてあったもう一つのグラスにボトルから残りの水を注いで私に差し出した。私はそれを受け取って彼が座っているソファと90度の角度にすえてある安楽椅子に座った。私がごくごくと水を飲んでいる間、彼は両手の間でグラスを傾けて氷を回していたが、やがて、自然に立ち上がるとグラスをサイドテーブルの上に乗せた。それからベルトを差し出した。私がそれを受け取ると、そのまま両手を拡げてみせる。
「どうすればいい?」
 まずは、平手で叩くのかな?だったら、膝の上に乗ってもらう?うーん、ちょっと躊躇いを感じた私は、彼が今まで座っていたソファを指し示した。
「そこに手を付いて四つん這いになってもらえる?」
「オーライ」
 明るい声で軽く返事をすると、彼は何のためらいも無くそのソファに上半身を預けて膝を付いた。自然とお尻が目の前に突き出される。私は椅子から乗り出すと手を伸ばしてそのお尻を掌でそおっと撫でた。スーツのウールの手触りの向こうに、確かに筋肉質の男性の身体がある。私は、そのお尻をゆっくりと撫で回しながら、自分の気持ちがふわふわと漂いだすのを驚いて見つめた。相手の身体がわずかに持ち上がり、ゆっくりと掌に押し付けてくる。彼が悩ましげに溜息を付くのが分かった。
「ちょっと。そんなにされたら、もよおしちゃうよ。困ったなぁ・・・そういうのは予定に入って無いんでしょう?」
 のんびりとゆっくりと尋ねてくる彼の声は、低く柔らかく心地よい。欲望に性急になっている男の声ではなかった。私は自分も興奮して来ているのを確認しながら、手を腰に回してズボンのボタンを外した。ズボンを引き降ろし、シャツを捲り上げる。相手は腰を持ち上げて私の動作の手伝いをする。現れた男性のお尻は創造 していたよりもすべすべと冷たく感じられた。まるで、大理石の彫像のようだ。足の間から、ぶらんと性器が覗いている。こんな角度から、男性の体を見たことが無かった私は、思わず赤くなった。どきどきと走り出した心臓を押さえつけ、大きく息を吸うと最初の一打を彼のお尻に打ちつけた。

 ぱちん!

 思っていたよりも大きな音に、叩いた私のほうがびくっと飛び上がる。彼は何も言わず、そして動きもしなかった。ただ、ゆっくりとした深い息を吐き出しただけ。最初はこわごわ、でも段々と強く・・・叩くってことは運動の一種なのだろうか。それとも、他の意味があるのか。すぐに私の頬は上気して熱くなり、身体も汗ばんでくる。ゆっくりと間をあけて、規則正しく打った。お尻はだんだんと薄赤くなってきたけれど、彼は身じろぎもしないでじっとしている。
 ふいに、ついていた腕を伸ばすと起き上がった彼は、びっくりしている私の手を捕まえて握りこんだ。
「ストップ!」
 はあ、はあ、と、息が上がっているのは私一人。彼はほとんど表情を変えていなかった、そして握りこんだ掌をそっと開くと、困ったように溜息を付く。
「まっかになってる。それに熱い。」
 そうして私の顔を覗き込んだ。
「僕のお尻よりも、君の掌の皮のほうがずっと薄いんじゃないかな。」
 ビロードのような手触りのその声に、私は思わずうっとりと聞き惚れていた。今頃気が付くなんて変なの。ううん、そうじゃない。最初から私はこの声に惹かれていたんだ。相手の瞳の中を覗き込んで、それが、かすかに欲望の色を刷いていることに気がついた。思わず下を見ると引きおろして剥き出しになったそこが、勃っている事を確認してしまう。私の視線に気がついた彼は、そこで初めて赤くなった。
「ごめん。だって、綺麗な女性とこんな事をしているんだから、そこは見逃してくれなくちゃ。」
 そして、握っていた手をゆっくりと離すと少し後ろに体を引いた。
「ベルトを使うといいよ。掌で叩かれても、あまり痛くないから。返って手を傷めるんじゃないかと心配になってしまう。」
 彼は、かすかに微笑んだ。語尾も笑いに滲んでいる。もう一度、ソファの上に身体を戻す動作も、滑らかでまるで、猫科の動物のようにしなやかだった。私はサイドテーブルの上に乗せてあった、さっき渡されたベルトを取り上げた。そのままではあまりにも扱いにくい。二つ折りにして短く握ると即席のお尻叩きの道具が出来上がった。
 もう一度、息を整えて、彼の身体に向き直る。大丈夫。大丈夫。平気だから。

 何が平気なんだろう。自分の考えていることの意味すら掴めなかった。でも、それ以上に想い惑ってもしょうがない。思い切ってベルトを振りかぶると、私の掌の労働でさっきと違いピンクに色づいているそのお尻に振り下ろした。

ビシッ! 
 さっきとは明らかに違う、皮のはじける音に私はすくみあがった。一瞬、彼の身体が硬直して「うっ。」と、声を飲み込む気配が解った。彼のお尻に斜めに走った赤いベルトの痕がみるみるうちに膨らみを増して浮き上がってくる。その蚯蚓腫れを見つめているうちに、自分の心の奥底から、怯えと一緒に身体がふうわりと浮き上がるような酩酊感が襲い掛かってくる。なんだろう。これは?
「ねぇ、大丈夫。」
「うん。続けて・・・。」
 ちょっと、かすれた声の返事は、彼が痛みを味わったことを私に教えてくれる。私が与えた痛みを彼が受け取ったことを。ぎゅっと目を瞑って、それからぱっと見開いた。もう、迷っちゃだめ。私は再び息を吸い込むとベルトをしっかりと握って振り下ろした。

ビシッ!・・・・ビシッ!・・・・ビシッ!・・・・・ビシッ!

 何度目だったろう。彼がうめき声をあげた。そして身体がみじろぎする。お尻はすでに縦横に蚯蚓腫れが走り、彼の背中は汗をのせててらてらと光り始めていた。そして私自身も、シャワーを浴びたのがすでに無駄だった様に、びっしょりと濡れている。ああ・・・・。私は腰が抜けたようにぺたんと座り込んだ。
 お互いが喘ぐ、息遣いだけが聞こえる。彼は、ぎゅっと目を瞑ってソファにかがみこんだまま、じっとしている。私は、ベルトから手を離すと、手を伸ばして腫上がったお尻に触れた。彼の身体がびくっと動く。かすかなうめき声と、ソファについた手が握りこまれていることで、結構ひどく痛めつけてしまったことに気がついて、心配になってきた。
「ごめんなさい。大丈夫?」
 何度かの深呼吸の後、彼は身体を起した。こわばった頬が優しい笑みを作ろうと努力してゆがむのが分かった。ひどく打ち過ぎた?怒らせてしまったのかしら。乱れて額に落ちかかった髪を掻き揚げた指はかすかに震えている彼は、ズボンを引き上げてボタンを留めると、ソファに寄りかかるように肘をついて、ほうっと溜息を付いた。
「痛いって言うよりも・・・。」
「え?」
「困ったな。あなたが欲しい。」
 私はびっくりして、ぽかんと口をあけてしまった。ちらっと彼は私へ視線を流すと肩を震わせて笑った。
「こんなに、強く欲情するなんて予想してなかった。」
 彼は握り締めた手をソファに強く押し付けた。衝動を押さえつけようとするように。その手を宙に浮かせたら、もうおしまいだというように。
「え、じゃあ・・・・。」
 どうしよう。私は、もう一度自分の心に問いかけた。私は、彼を好きになり始めている?それとも、これはただの成り行きなのかしら。
「する?」

「いいんですか?」
 躊躇いながら、逡巡しながら、それでいて性急に、もどかしげに聞き返してくる男。その腕の中に、私は自分から飛び込んでいった。彼は、文字通り私を掻き抱いた。きつく、きつく、抱き締めた。
「ほんとうに?」
 黙って彼の胸にうなずく。私は、彼を欲しがっている。彼と同じくらいに。強く、そして激しく。これが、恋の始まりであろうと、ただの成り行きであろうと、ここで、すれ違ってしまうのはあまりにも惜しく感じられるほどに。熱くなっていた身体を彼に押し付けた。彼は、もう何も尋ねなかった。黙って私を引き倒した。

 私たちはそのまま、床の上で交わった。ジェットコースターを滑り落ちるような、情熱のほとばしりに身を任せた。




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 最初にラブコスメティックで買い物を始めたのは、ジャムウの石鹸が欲しかったからでした。形がロケット型で、今や結構類似品も増えています。ところが、自分でもあれこれ試してみて、ブログで紹介してみようかと思った頃には販売中止になってしまいました。
 すごく、良かった商品なので残念に思っていましたところ、今回、形を変えて戻ってきたんです♪
 おりものスッキリ、臭いサッパリ、そしてキュッと引き締まりをポイントに作られています。透明なジェルでデリケートゾーンに(軽く水分を拭き取ってから)塗り拡げ、約3分ほどパック。さっと洗い流してください。(素肌ケアとしてなじみますので、完全に洗い流す必要はありません。)

 ラブコスメティックでは、夏に向かって気になる部分をあれこれ磨いてピカピカボディを作れるように、商品の品揃えが進んでいます。さやかも、頑張ってお風呂タイムを充実させるつもりです♪
 
 
 日差しが暖かい。マンションの外に出れば、冷たい風が吹いているのに、ガラス越しの日差しはまるで春のようだ。休みだからって、朝からのんきに風呂に入っていた晃は身体を拭いたタオルを腰に巻きつけたまま、その日差しが降り注ぐ場所に、ごろんと横になって雑誌を読んでいる。
 湯冷めするのになぁ・・・と、思わないでもないのだが、まあ、自分も常々やっていることなので、咎めだてしても意味はない。うつ伏せになった身体がゴロンと転がり、仰向けになる。いつの間にかタオルが外れてくしゃくしゃと、身体に不完全に巻きついていた。
 晃はめんどくさそうに、そのバスタオルを引っ張って取り除くとくしゃくしゃと丸めて、多分この方向だろう・・・と、思われるドアの方へ向って放り投げた。次に移動するときに、洗濯機へ入れるつもりなのだろうが、風呂場と居間の間にはドアが二枚と廊下があるのだ。とうぜん、タオルは壁にぶつかって落ちて、床に濡れた身体をだらしなく広げる惨状となった。
 ああ、ああ、もちろん俺だってやるよ。こういう事。だけど、そりゃ俺の部屋だからであって、しかも、他に誰も見てないからであって、おまえは他人の部屋だろう。しかも、部屋の主の目の前だし・・・・。
 ちと、呆れながらも、だからって、こんなにのんびりとした日に、声を荒げるのも馬鹿らしく、タオルを拾ってやるのはもっと馬鹿らしい。わざとらしく、見ない「振り」をして、新聞の字面を追う「振り」をしながら、相変わらずゴロンとねっ転がって雑誌を読んでいる晃の方へまた視線を戻した。
 仰向けになって、膝を立てて、腕をあげて雑誌を支えている彼の身体の上に、陽の光が彩りを添えている。体毛があまり濃くない彼の身体はどちらかというとつるつる、すべすべ。撫で心地も最高。程よくのった筋肉の硬さが寄りかかるのに心地よく、触れる身体は少し俺より体温が高くって熱い。

 晃はあまりべたべたとくっつくのは好きじゃないから、そんなふうに、絡まり合って他の事をしたりする事はないんだけど、あの、太腿を枕にして、ぼんやりと考え事とかしたり、たまーに髪の毛をかき混ぜてもらって、ぼつぼつと思いついた会話を時々口にしたりして過ごすのって、なかなか良かったりしないか?

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 うーん、枕にするのは腹の上でもいいな。あの臍のあたりのくぼみに頭をのっけて、空いた手で彼の太腿をすべすべと触る。多分、最初は、知らん顔。だんだん、くすぐったいとか、文句を言ったり、身を捻じったり・・・で、つまりは、そんな反応が楽しくて、つまりは、その気になっちゃって、俺の手もきわどい所を狙ってあっちへ行ったりこっちへ潜り込んだり、じらしてやりたいから、肝心のところは握らない。
 男って不思議なもんだ。触ればその気になるはずの場所なのに、セックスの相手に、そこを握られていてもあまり気にならないなにげなく、もてあそばれたり、袋をもまれたりしても、脚や、腹を撫でられるよりも平気だ。かえって、他の場所の方がくすぐったかりして落ち着かない。それが、分かっているから、わざと太腿ばっかり、撫でてやるって・・・どうだろう。
 きっと、嫌がるだろうなぁ。膝の上にくるくる円を描いてみたりして。おい、やめろってば、って言うのを、太腿の上に身体を乗り上げて押さえつけてくすぐったりする。絶対、お返しだ!とか、言いながら、体制を反対にしようとするだろう。そんなことしている時って俺も裸かしらん?服を着ていたら変だよな。
 いやいや、でも、実際には、今、彼はすっぽんぽんで、俺は、服を着てる。こういうのもなんか、好きだったりする。服を着たままのその落差がエロい。素肌に触れる布の感触が、なんか、刺激的だ。ふむ、だったら、裸でいるのは俺の方じゃなきゃだめじゃないか。あいつは、どう思うんだろう?ずるい!って、言うな。きっと。俺は思わずにやけてしまう。で、あいつが、脱げよ。って、言って、俺の服をひっぱる。ボタンを外そうとする。だけど、あいつは他人の服を脱がせるのがあまり得意じゃないから、きつく引っ張りすぎてボタンがとんじまったりするかもな。
 させまいと抵抗する俺と、無理やり脱がせようとするあいつ。くんずほずれつしてるうちに絶対気持ちは盛り上がってきて、きっと、キスしたくなる。それもやさしい奴じゃない。噛みつくように、強引に奪い取るようなキス。あいつのほうから?それとも俺が?
 思いっきり息を吸い込んで、舌を差し入れてかき混ぜて、吸い上げて。突っ張る腕を押さえつけて、押しのけようとする身体へ身体を乗り上げる。俺のもんだ。そして、おまえのもんだ。奪い取って、むさぼって、しゃぶりつくす・・・・。

 気がつくと、晃は、雑誌を放り出した晃は肘枕をして、俺の顔をじーっとみていた。

「え?なに・・・?」
 俺は、思わず赤面した。いつから、こっちを見ていたんだ?いや、もう「降り」なんか全然忘れて、じーっとあいつの身体を眺めて妄想にふけってたから、きっと、穴があいたに違いない。そりゃ、視線も感じる、気付くにきまっているって。
「したいの?」
「あ、いや、別に・・・・」

 え・え・え・え・・・・。なんで、そこまで気がつくんだ。俺の心が読めるのか?何を考えてるか気がついた?焦りまくって、うろたえて、新聞をバサバサと畳み直してみて、ふと、別に、全部バレバレになってる訳じゃなかったりすることに、気がついた。そうだよ、晃が言ったのはセックスの事で、俺が腹の上に乗りたいとか、太腿を撫でたいとか、握っていちゃいちゃしたいとか、あれこれ考えていたのは、ばれてないってば。いや、ばれてないだろ?って、ばれてる?

 新聞を畳んで顔を上げると、晃はすでに俺の膝のそばまで移動してきていた。うわああああ!と、仰け反ると足の間から見上げるようにして晃は笑った。
「変な事考えてただろ?」

 いや、考えてないって。考えていません。変な事じゃないだろ。普通だよ。普通。腹枕とか、そんなほのぼのとした想像だってば。ちょっと、不純なのは、認めるけど。ただ、おまえがそんなカッコして、ごろごろしてるからぁ。ついつい・・・って言うか、あ、こら、何してるんだよ。
 晃は、すでに俺のズボンベルトを外して、チャックを素早くおろし、中の物を引っ張り出していた。もちろん、すでに、臨戦体制である。これじゃあ、したかったのが、腹枕だなんて主張しても、信じてもらえないだろうな。いや、もちろん、妄想の方はもう、あいつを押さえつけて、その身体にむしゃぶりつく寸前だったんだけど・・・・。

 「ほら・・・」
 くすくす・・・笑いながら、晃が俺のシャツに手を伸ばしてくる、想像と違って乱暴でもなく性急でもない細い指が、ボタンをゆっくりと一つずつ外していく。はだけたシャツの隙間からするりと潜り込んでくる、腕が俺の背中へ巻きつけられる。ああ、うん、おまえの腕、好きだ。こんなふうに、すべすべ、さわり心地のいい奴、ほんと初めてだって。ちょっと高い体温も、ほそっこい割にしっかりした筋肉も、あまり汗をかかないくせに、始めるとようやく感じ取れるほんのりとこおばしい体臭も、みんな好きだ。

 触れ合わなくってさえ、おまえがそこにいるだけで。

 今日はいい天気だな。


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 思いのほか手間取った資料作りが終わったのは午後11時。パソコンの電源を落として、フロアの灯りを順に落して行くと、だれもいないオフィスはがらんと暗く不思議な雰囲気だ。ふと思いついて志方は、窓の傍まで行って、ブラインドを上げてみた。都会の街はまたたく電気で彩られ、煌めいている。あと少しで日付が変わろうとしている誰もいないオフィスに一人。つい、今まで仕事にのめり込んでいて、よけいな事を思い浮かべる時間もなかっただけに、こんな時間、こんな所に、ただ一人で都会の灯りを見つめて立っていると、自分が、まるで、ぽんと異空間に放り出されたような、たよりない空虚さを感じてしまう。
 会社のあるビルは周囲の建物よりもぐんっと背が高い。ずっと遠くまで続く灯りは、眼下に見下ろすような形だった。今から帰っても、冷え切った部屋にはだれもいない。そう思うと、家に帰るのもなんだか億劫な気がしてしまう。いくら、明日が休みだって、こんな時間じゃ晃を呼び出すことも出来やしない。
 溜息をひとつ、諦めてブラインドを降ろす。机の間を、縫うように歩きながら、柔らかくもなく、抱き心地がいい訳でもない男そのものの身体を思い返していた。

 ベッドの四隅に取り付けられた絹のベルト。手首にくるりと廻して、そのベルトの先に受けられた金属の輪を、反対の輪が掛けられている金具へ引っ掛けるだけ。めんどくさがり屋の志方のが考えだした、拘束具のひとつだった。お約束の手順の一つだから、あまり厳重なわけでは無いが、ぴんっと身体を張り伸ばしたければ手首の周りを幾重にも巻くだけ、緩めにしたければ一重に回すだけ、という調節の手軽さから、普段の生活に十分役立っている。
 柱に付けられた金具は、ベッドの底板の方からアンカーを出して、ちょっとやそっとでは壊れないようにしっかりとしたものにしてある。男一人、本気でもがかれちゃあ、ベッドを壊してしまいかねないからだ。
 いや、そんな事をしたい時は、この絹のベルトはつかわない。これは、あくまでも、予定外に、ついその気になった時の、インスタントな拘束のためのものだった。別に、四肢を全部つないでしまう必要なんてない。右手だけでも自由が利かなくなれば、いくらでも、相手の快感をひきのばしたり、焦らしたりできる。
 そう、ちょっと便利なだけ。べつに、あいつを念入りに焦らして、ドライの快感を引き伸ばして、簡単に終わりが来ないように、ひいひい泣かせて哀願させようなんてつもりでこの絹のベルトを付けたわけじゃない。
 それでも、抱え込んだ腕の中で、本能的に逃れようとする相手が、泣いて嫌がっても、訴えても。このベルト一本が志方を楽にしてくれる。この金具を留める時に晃が進んで手を差し出したという事が、抵抗しなかったという事が、お互いの中の暗黙の了解。
 吐息がこぼれる。汗で滑る。歯をくいしばって、うめきを押し殺して、力を入れて身体を突っ張って。逆らう身体が、抗う身体が、それでも志方にすべてを預け差し出されている事が、すべての至福の根源にある。それを、示す枷が、自分のベッドに取り付けられている事が、不思議でもあり、信じられなくもあった。

「拓真」
 聞こえるはずのない呼び声が耳の奥底で響く。自分を呼ぶ、低い声。ちょっと湿ったような、掠れた声。いつの間にか自分を捕まえて、他の誰のことも考えなくさせてしまった男の声。

 会社を出てきたのとは反対に、真っ暗な部屋の中に入ると、空調が動いている事に気がついた。どうやら、朝、エアコンのスイッチを消していくのを忘れていたらしい。冷たい部屋に戻るのにげんなりしていただけにありがたい気持ちはあるが、一日誰もいない部屋を暖めていたのかと思うと、それもまた、情けないものがあった。天井に取り付けられた蛍光灯を避けて、間接照明をつけていく。
 志方は、部屋の中を、蛍光灯で煌々くまなく照らすような生活が好きではない。そういう灯りの必要な事を認めないわけでもなかったが、電球のかもしだすオレンジ色のぼんやりとした温かさが好きなのだ。
 2年前に購入したこのマンションに引っ越して来る事になった時、あれこれとリフォームした際に、照明にお金をつぎ込んだのもそのためだった。真っ暗だった部屋が、影を作るオレンジ色に彩られるのを目で追っているうちに、部屋の真ん中に靴が落ちている事に気がついた。

 なんで・・靴?

 それも片方だけ?もう片方は?と、部屋を見廻すと、寝室へ続くドアの手前にもう一個の靴が落ちている。やれやれ。コートを着たまま、志方はそこで煙草に火とつけた。訪ねてくる相方が煙草をやめたために、いつの間にか普段の生活でも煙草を吸う場所は台所の換気扇の前になってしまった志方だった。だが、今は、この不可思議で曖昧な気持ちを煙とともに部屋に漂わせたかった。




 多分、あの寝室のドアを開ければ、めずらしく酔っぱらっているか、すごく疲れているかのどちらかだろう恋人が、その辺りに服を脱ぎ散らかしたまま、裸でベッドにもぐりこんでいるに違いない。いつもの癖で枕を抱え込んでうつ伏せになっている晃の横顔を思い浮かべて、志方は、満ち足りた温もりを感じる。手の中に抱えこんだミルクティーのカップの湯気に慰められるようなそんな気分。
 家に帰ってくると、誰かが、思いもかけずに部屋にいて、しかも、自分を待っていてくれるわけでもなく、平気で靴を脱ぎ散らかして、勝手にベッドに寝ているのが嬉しいだなんて・・・。
 こんなふうになる日が来るとは、思っていなかったのに。
きっちりと根元までくゆらせてから、煙草を灰皿に押し付けて消す。これで、もう、明日の朝まで煙草を吸う事はない。コートを脱ぎながら志方は、明日の休日はゆっくりと寝坊しよう・・・と、思いながら、思わず微笑んだ。

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 むかしむかし、大陸が二つに分かれていて、間を大きな海で隔てられていた頃に、北の国を狼と呼ばれた年長の王が、南の国を虎と呼ばれた若い王が治めておりました。

 北の国の王には賢くおだやかな黒髪の跡取りの王子と気高く美しい妹の姫君があらせられました。この姫君は、この国の行く末を占ったり、人の心を読んだりする不思議な力を持っておりました。この力を持つ娘を、この国では「星の娘」と呼び、神の力を世に顕す尊い娘として、神殿の礎として敬い奉りたてておりました。この国では神殿の力は非常に強く、国を支える両輪のひとつとして民に尊ばれていたのです。

 代々の星の娘達の力の強い者が、一年に一度、門の役目となる男を通して、国の未来を占うのがしきたりでありました。門の役目の男は、星の娘達がまだ幼い頃から、その相手役として選ばれ、占いの日までに心と体を鍛え、神の道に精進するのが習わしでありました。と、いうのも、門のお役目は非常に苦痛を伴うもので、なまなかな覚悟で臨めば、その心の蔵が止まってしまうこともあったからなのです。

 しかし、狼の王は、これを嬉しく想っておりませんでした。狼の王は、王こそが国の頂点に立つべき国の仕組みを作りたかったのです。そのためには、力の強い星の娘はじゃまな存在でありました。王は、このしきたりをただの習慣として、飾りモノとして、衰退させていきたかったのです。王のただ一人の愛娘であった姫君の力は今までにないほど強く、王はこのまま姫君を星の娘とするのを憂いておりました。そこで、王は娘の力を指輪で封じ、彼女を南の国との末永く続く和の礎のためにと称して、外つ国に嫁がせることにしたのです。

 しかし、彼女はその結婚を喜びませんでした。彼女は、ただ一度と思い定めた、恋をしていたのです。その相手は幼い頃から彼女の門として定められていた男でした。その男は、物心がつく頃から王子の遊び相手として王宮に上がり、姫も交えて3人共に遊び戯れた、第一の大臣の息子でありました。

 どういう運命のいたずらが働いたのか、ちょうどその頃、第一の大臣は大病を患い、亡くなってしまいました。大臣の息子は父の跡を継ぎ家を支えていかなくてはならなくなりました。若い彼には、老獪な王に逆らう術はありませんでした。国のために姫を説得するように命じられた彼は、王の言葉に従い、泣く泣く姫君に外つ国へ嫁いでいくように言うしかなかったのです。

「あなたのしあわせのために、この国の未来のために。」

 姫君は男の裏切りをののしり、呪いました。愛する娘の冷たい言葉に打たれて、男は苦しみましたが、もう術はなく、彼女が力を指輪に封じられて嫁いでいくのを見送るしかありませんでした。

 狼の王のただ一人の跡取りであり、姫君の兄でもあった王子は、父王に向かって願いました。
「妹の力こそは、国を救うかも知れぬ奇跡でありますのに、なぜに手放されようとなさるのか。」
 王は、首を振るだけでありました。触れるだけで、人の心を読む事の出来る姫君の力は、王にとっては、決して都合が良いものだけではありませんでした。姫はまだ若く、嘘を許せないご様子でした。そして、たくまぬ娘の言葉にこの国の人々は、右往左往するのでありました。何しろ誰も姫には嘘をつくことが出来ません。
 この上に娘が成人して、男を門として、未来を知るようになれば、王家の娘でもある姫の力は王国において絶大なものになってしまい、王の目指す政治は立ち行かなくなってしまうと考えておられました。

 姫を失う事は、男にとっては、地獄の苦しみでありました。門として片時も離れず、姫に心を沿うようにして大人になった彼は、半身を引きちぎられるような苦痛を堪え忍ばなければなりませんでした。
 また、使節として姫の婚礼の供をした立場から、愛する娘が他の男の腕に抱かれる様を目の当たりにせねばなりませんでした。
 そのうえに、姫から決して許さぬとののしられた時、その言霊の力に男の心は切り裂かれ、血があふれました。その傷はいつまでも癒えず男を苦しみに苛み続けました。




 嫁いでいった姫君は、たいそう美しくたおやかな娘でありました。 この姫を得た若い虎の王は、非常にまっすぐで猛々しい王でありましたが、姫君を誰よりも大切に慈しみ、大事に守られましたので、頑なにしておりました姫君もやがて、心を開いて夫に添うてゆくようになりました。

 そうして、三年が経ち、王妃となられた姫君がますます美しく女らしくなられると、誰が見ても二人は似合いの夫婦になり、次は跡継ぎの誕生を待つばかりと囁かれておりました。しかし、運命はそのような良き明日を二人のために用意してはくれませんでした。

 悲劇が起こり、若き虎は、姫君の目の前で、王宮に忍び込んだ謀反の心を持った怪しき者の凶刃に、尊き命を散らしてしまわれたのです。姫君は嘆き悲しみましたが、失われた命は戻って参りません。跡継ぎがなかったために、南の国は、王の弟が跡を継ぐことになり、まだ若かった姫君は国に帰されることになってしまったのでした。




 さて、そのころ北の国では狼と呼ばれた偉大な王を去年亡くし、その息子の王子が鷹と呼ばれて新しき王になっておりました。そして男は、その王のかけがえのない片腕として国の政務を司る第一の大臣となって国政に力を振るっておりました。しかし、表に見られる賢き強さとは裏腹に、その心は傷つき血を流したままでありました。夜毎に虎に抱かれる姫君の姿を想い、切り裂かれるような妬みに耐えていたのでありました。

 その耳に、若き虎の悲報はどれ程の甘露として聞こえた事か。姫君の帰還を知り、男はその愛しい姿をまた見れるその日を待ち焦がれておりました。鷹の王も、気持ちは同じでありました。三年前、父王の命とはいえ、大事な友がどれ程の煮え湯を飲まされ、その後も苦しみ続けておりましたかよく知っておられました王は、友である第一の大臣のためにも、妹の帰りを待ち望んでいたのです。

 やがて、港に船が現れました。すべての人が姫君の美しきこと、そして星の娘としての力の強きことを覚えておりましたので、喜びに満ちてその帰りを仰ぎ見たのでありました。
 人々の歓呼の中、姫君は王に挨拶をなされました。そして、立ち並ぶ迎えの人々にも。
 けれど姫君は男の姿を見ようとはなされませんでした。まるで、その人の姿がそこに無いかのように、まったくその瞳に映ってはおらぬかのように振舞われたのです。

 男は、その事実に打ちのめされました。
「どのような事があろうとも、決して決してお前を許しはしない。」
 姫君があの時、彼に放たれた言葉のとおりに、お気持ちを変えてはおられないことが男にも分かったのでした。嫁ぐようにと勧めた言葉は、王の命によるものであり、彼にとっては血を吐くような思いで紡がれたものでありました。心を読む力を持つ姫君に、決して触れられないように用心してなされたたくらみではありましたが、姫君とて決して男の気持ちに気付かぬ訳ではなかったのです。
 しかし、力を封じられた屈辱、国を負われた悲しみを他の誰にぶつければよかったのでしょう。また、力を封じられていたために救えなかったい愛しい夫への想いが、幾重にも姫君の心を傷つけて、かつては我が命とも思った男を、呪わずにはいられなかったのでありました。





 その日から、男にとって、今まで以上の苦しみの日々が始まりました。決して自分を見ず、決して笑いかけてはくれぬ愛しい姫が他の男には微笑み、言葉をかけ、場合によってはその御手に口付けを許す様をつぶさに見なくてはならなくなったのです。
 男は、ただただ黙って耐え忍ぶほかはありませんでした。姫を思いのままに抱く夫の腕の中にいると分かっていた三年間の苦しみを思えば、たとえ憎まれてはいても、その姿を見ることが適った今の苦しみの方がどれ程に良いか。男は自分にそう言い聞かせ、姫のつれない仕打ちにも、歯を食いしばって耐えておりました。
 しかし、長年の癒えていなかった傷はますます深まり、彼の身の内を削るような努力にもかかわらず、彼の姿は痛々しく、やつれていくのでありました。

 鷹の王は、この事に悩み惑われておりました。妹が嫁いでいった折、同じように手をこまねいて見送ったことは、この王にとっても立場は同じ。説得を引き受けざるを得なかった男の苦しみを、ずっと見ておりましたから、何とかして二人の和解をと望んでおりました。そのため、機会があるごとに妹姫に慈悲を請うては、はねつけられることもあらせられました。しかしお優しい王のこと、姫君の白玉のような涙を見ると、強くなじることのできぬ兄上でいらしたのでした。

 男は政務のひとつとして姫君に、お会いになる折もあり、書面を作ったり、その書面に署名をいただいたりする役目を果たされる時もございました。最初の対面のときと違い、兄君の口添えもあって、姫君は、礼こそ失するようなお振る舞いに及ぶことはありませんでしたが、決してその瞳に男の姿が見えている事を認めるようなそぶりも見せられませんでした。手と手が重なり合うその瞬間さえも、その手は冷たく、冷え冷えと男を拒絶する意志に満ちていたのでありました。

 男は、それでも、国の支えとして国政へ力を尽くしておりましたが、ある日、城の中庭で若い貴族の求婚を受けながら婀娜に美しく笑う姫君を遠目に見た瞬間、その心の芯はぷっつりと切れてしまわれたのでした。どんなに願っても、どんなに恋焦がれても、自分にその視線が注がれることは無く、微笑が向けられることは無いのだという事実は、門として生い育った彼にとって、どれほどの苦しみだったことでありましょうか。

 館に戻り、衣を脱ぎ、一人暖炉の前で酒をかたむける男は、疲れ果て傷つき気力を失い尽くしておりました。その目に机の上に飾られた一振りの短剣が美しく飛び込んできたのです。
「痛みは一瞬でしかない。その一瞬でこの苦しみから逃れられることが出来る。」
 長い長い苦しみの時が、男を支配して、正しく物を考えられるような状態では無くなっていたのです。男が自らの命を縮めようと短剣に手を伸ばしたその瞬間・・・・。

 その手は、姫君のしっかりした手に押さえられておりました。男は虚けたように姫君を見つめられました。そして、帰国して初めて、姫君もまたしっかりと男の姿を見つめられたのです。
「どうしてここに?」
 やっと我に帰った男は姫君に尋ねられました。しかし、尋ねるまでもなかったのでした。
 王宮の自室にやすまれているはずの姫君が、今この時、この瞬間に、この場所に現れた問いの答えは、ただひとつだけだったからです。
 姫君は指輪をしておられなかったのです。
 男は驚きました。その指輪は、神官達が、固く姫君の力を封ずるために、大掛かりな儀式を行い、力を尽くしてその指に纏わせた物だったからです。その指輪が外されたということは、姫君は神殿の力をすべて合わせたよりも強い力を持ってらしたことになります。
「いったいいつ・・・封じを解かれたのです。」
「夫の王が亡くなられた時に。あの日、私は運命に従順であるのをやめたのです。」
 それは、男にとっては、恐ろしい事実でありました。封じの解けた姫君は、触れることで人の心を読むことの出来る力を持っておりました。姫君が帰ってきてから、それは数えるほどの回数ではありましたが、男と姫君の手は重なり合うことがあったのです。
 男は血相を変えて、姫君の手を振り払いました。なぜなら、男の心は姫君を慕うあまりに、妬みと苦しみに満ちていたからです。そのすべてを知られてしまうということは、男にとってはまた別の意味で耐えられぬことでありました。平気な振りをすることだけをよすがに、ここまで耐えてきたのです。

「私の恨みを置き捨てて、一人、自由になるつもりですか。」

 男は姫君の言葉に愕然としました。生きて冷たい仕打ちに耐えてこそ、姫君にとって男の存在があるのだと言われれば,それに背を向けて、去っていくことは許されぬことでありました。男はただただ、その苦しみをその身に甘受して見せる他、道を断たれてしまったのでありました。姫君は、ただ冷たい視線だけを男に残し、バルコニーの影から消え失せました。

 男は死を選ぶ事が出来なくなってしまいました。ますます、その身を削り、足を引きずるようにして伺候するしか他はありませんでした。男の視線は人目をかえりみず、姫君の姿を追い求めるようになりました。その瞳は誰が見ても飢えたような心の苦しみを映し、暗く、それでいて、かけがえの無いものに恋焦がれる、痛々しい切なさをたたえておりました。





 そんなある日のことです。神殿から使いが送られて来ました。やがては一年に一度の王国の未来を占う日が近づいておりました。神殿のうちで現在の星の娘を勤めているのは神殿の巫女でありました。巫女は、神官の一人を門として、勤めを果たしてきていたのですが、ある恐ろしい夢を見たことで、今年の儀式は事の外力が必要だと、神官達に訴えたのでした。

「姫君こそは、この国一のお方。あの方の封じを解き、未来を占っていただくことこそがこの国を栄えさせることの出来る随一の方法でありましょう。」
 神官たちは口々に王へ訴えます。姫君の封じを解き、神官の一人を門として今年の儀式を執り行うように説得していただけないかと・・・。
 その言葉を聞いて、男は顔色を変えました。力を封じられる前に姫君の門と定められていたのは男自身だったからです。しかし、星の娘の門となる事は、この世のものとも思われぬほどの苦痛を耐え忍ばなくてはなりません。耐え切れず、命のつきる門の役目の者も一人、二人ではありませんでした。国の要となるべき一の大臣が勤められる役目ではありません。
 しかし、男にとっては、その役目を人の手に渡すなど、とてもとても、うべなえるものではありませんでした。娘の門となる事は、ただ現世の契りを交わすよりも、ずっと深い結びつきが無ければ出来ないことだったからです。愛しい人が、他の男の胸の中をくぐることになる事こそは、男にとってはどうしても見過ごせる事ではなかったのです。

「たとえ国を傾けても。」

 思わず飛び出した言葉は、国にとっては叛逆と捉えられても仕方の無いものでありました。血相を変えて詰め寄る神官たちを王は遮り、
「姫が引き受けない限りは、門を選ぶことも出来ぬ。」
と、いったんみなを下がらせました。
 ともに苦楽を共にし、その苦しみを癒すことも出来ず、ただただ見守ってきた王は、男の心情は痛いほどに良く分かっておりましたから。王は、男を一言も責めたりはなされませんでした。しかし、儀式によって男を失うことは、王にとっても大きな痛手でありました。父王が無くなってから、国政を滞りなく行ってこれたのも、この男の力が大きかったのでした。

 王は、帳をくぐって、一人、姫君を訪ねていきました。

 姫君は、話を聞くと、静かな瞳で兄王を見つめ、時間をくれるように頼まれました。儀式の日まではもうあまり時がありませんでした。王は苦渋の決断をなされ、三日待つことを約束されました。




 その夜、狂おしい想いに耐え切れなくなった男は、王宮の庭をそぞろ歩いておりました。いいえ、男は知っていたのです。高い塀や石垣や池に遮られ、誰も入り込めぬ奥宮の姫君の部屋の灯りを、見ることの出来る場所が、庭にはただ一箇所あったのです。ただただ、その灯を遠くに見るだけでも・・・・。切ない想いの吐露でありました。その場所に立ち、橙色の灯火を見つめて男は泣きました。

 その時です。その灯りをさえぎるように、姫君の影が窓際に現れました。そして、その一瞬後には男のそばに佇んでおられたのです。身を切られるような想いを込めてひたすら見つめてくる男に姫君は静かにおっしゃられました。
「王宮の奥の御社に供をするように。」
 男は黙って顔を伏せ、付き従いました。

 社の内に入りたまわると、姫君は灯心に灯を移し、四隅に置き祝詞を唱えられました。外から何人も入れぬようになさったのでした。そして、尚も言葉を紡がれました。男はその後ろに跪き、ひたすら自らの心の内を澄まして、じっと待っておりました。姫君が何をなさろうとするか悟ったのでした。姫君は男の胸に門を開こうとなされていたのでした。
 儀式の場合、星の娘も、門を勤める人間も、二週間の潔斎と多くの神官たちの祈りの力添えを持って門を開くのです。誰の力も借りず、お互いの身も清めずに「こと」に及ぶことはいっそうの危険を招く事でもありました。しかし、男は、一切迷いませんでした。永きに渡った苦しみを凌ぐ喜びの時が今こそ、訪れたのですから。
 男は粛々とその身を姫の手の元に差し出し、わが身の衣を引き裂きました。姫君の祝詞が事の外高くなったその瞬間、姫君の手が男の胸の中に吸い込まれました。

 苦痛が男を切り開きました。姫の手は、誰も想像しえぬほどに惨く、そして恐ろしいうねりを伴って男を打ち据えました。それは、姫君の力が今までの星の娘たちの誰よりも大きい証でもありました。男は目を血走らせ、歯を喰いしばってその苦痛を身の内に引き入れました。姫の姿があっという間に男の胸の中に飲み込まれました。

 姫は門をくぐったのです。

 男の体が苦痛にもだえました。冷や汗に濡れ、ゆがんだ面を涙が洗いました。あまりの苦痛に気が遠くなっていきます。
 しかし、男は我と我が身に爪を立てて踏みとどまりました。男が意識を失えば、姫は帰る門を失い、時の渡りから戻れなくなるのです。
 男にとっては、肉体の苦痛など問題になりませんでした。この長い年月に耐え忍んだ苦しみに比べれば、彼女を身の内に引き入れる喜びに比べれば。その瞬間、だれよりも姫君は男とひとつであり、誰にも分かちがたくひとつに溶け合っていたからです。

 身をよじらせ、一刻、一刻を血を吐くようにして持ちこたえている男に、愛する娘が近づく気配が伝わってきます。彼女がもう一度現世に姿を現すまで、耐え切らねばなりません。男は、覚えずに祭壇にかかる短剣に手を伸ばしました。

 その時、男の耳に亡くなった父の言葉が聞こえてきました。
「身の内を駆け抜ける苦痛は、何物にも代えがたい喜び。生涯にただひとつの愛の証。」
 彼の父も、門として仕えた星の娘を妻に迎えた一人でした。そして、その母の腹から産まれ育った男でありました。男は、意識を保つために我が脚に短剣を突き立てました。
 次の瞬間、ひときわ大きなうねりが襲い掛かり、男の絶叫が響く中に、時を渡って帰り来た姫が降り立ちました。その姿を認めた男は、もう耐え切れず崩れ落ちました。

 姫君は男の傍に膝を付かれ、自ら手を伸ばされて男の脚に突き刺さった短剣を抜き取られました。血があふれ出ましたが、その傷に姫が唇を付けられると、血はたちどころに止まりました。それから姫君は男の顔を捉え仰向けになさいました。
 男の目に、男の血を赤く唇に宿した、愛しい娘の顔が霞んで映りました。娘は静かに顔をうつむけて、男の唇に唇をを合わされたのでした。

「我が愛しい人よ。我が力を受け止める事のできる、ただ一人の門を開き得る人よ。私の呪いは解かれ、憎しみはついえた。そなたの死ぬほどの苦しみの内に。」

 男は微笑みました。体が接している以上、何も言わなくても自分の想いが姫君に伝わっていることは、分かっておりましたから。あの懐かしい日々に彼女の手を離した日から・・・長き苦しみを経て、ようやく男は恥じる事無く娘にその身をゆだねる事が出来たのでした。

そうして、二人は結ばれました。昔々の事であります。