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18、社用の車 

ここでは、「18、社用の車 」 に関する記事を紹介しています。
 東野が思っていたよりもずっと周到な男だった事はすぐに分かった。家について、ハーブを入れた風呂につかって、ゆったりとした部屋着に着替えてから、冷蔵庫を開けて、夕食をなんにするか考え込んでいた時。つまり会社を出て一時間も経っていないうちに、チャイムが鳴った。私は、まったく警戒せずにインターホンに出た。
「はい?」
「社長?わたくしです」
 声を聞いて、改めてテレビを見た時には、遅かった。髪を乱して、別れた時よりも青い顔をした東野が、画面に映っている。答えてしまったから、家にいる事はもうばれてしまっていた。
「あー。東野?」
 彼は、マンションに入ってくるためのパスワードを知っている。追い払うか、中に入れるか、一瞬で決めなくてはいけなかった。
「社長。ここを、開けてください」
「今日は、だめ」
 東野は、一瞬黙った。
「なぜ、おっしゃってくださらなかったんです?」
 東野、そこまで途中の会話をすっとばすか?
「なにを?」
 また、一瞬の間があった。眉を寄せた、辛そうな表情を見せた東野は、オートロックの前でしばらく眼を閉じて立っていた。震えているのがテレビカメラの画面でも分かる。
「もうしわけありませんでした。お邪魔いたしました」
 頭を下げると、画面の中の東野はいなくなった。今頃、カメラの範囲外へ出て、気持ちを落ち着けているだろう。私は、どうしようか、まだ迷っていた。この男は潔すぎる。私が考えていた以上にあっさりと引き下がって見せた。本人の気持ちが行動とは一致していない事までは、隠しきれていなかったけれど。
 私はゆっくりと十まで数えた。彼はもう帰っただろうか。それとも……。オートロック解除のスイッチを入れる。
「東野、いつつ数える間に入って」
 いつつ数えてオートロックを閉めた。もう!きっぱりと追い返せなかった自分に、ついつい、舌打ちをしてしまった。けれど、すぐに深呼吸を三回してその気持ちを振り捨てた。こだわりすぎない。好きなようにする。そう決めたんだった。東野がすぐにその場所から離れていれば、もう、いなくなっているはずだった
ピンポーン。
 ドアチャイムが鳴った。やっぱり。テレビカメラの範囲外のどこかに立っていたらしい。多分、無理矢理に自分の感情を曲げるために。
 玄関へ行って、チェーンを外して上の鍵を開け、続けて下の鍵を開けた。
 勢いよく、ドアが開かれると、息をきらした東野が飛び込んできた。物も言わずに引き寄せられた。のしかかるようにキスされてしまう。ひとつ譲るのも二つ譲るのも同じ。腰に手を廻して応えた。随分長いキスの後、乱れた息のままで強く抱きしめて首筋に顔を埋めた彼は、辛そうに呻いた。彼の心の中の声が聞こえるようだった…。
 どうして。どうして。どうして。教えてくれなかったんですか。けれど、結局は言葉にしなかった。私がなぜ言わなかったのか。分かっている。そして、その事で更に傷つけられているはず。
 玄関の鍵も閉めずに、そのまま私達は立ったままつながった。普段は押さえつけられている東野の本当の顔。プライドが高く、頭がよく、欲しいものを無理矢理奪い取ろうとする激しい情熱の顔を見つめて、私は、その彼を踏みつけにしている快感に酔った。
 すごく、不自然だ。彼は、すぐに耐えられなくなるだろう。こうやって引き回され、打ち据えられ、味あわされる苦痛に。普通の人間には耐えられない。でも、しばらくの間は、彼は私の腕の中にいる。このプライドの高さゆえに、簡単には認められない。自分が考えていた通りに耐えられない事を。
「どうして、分かったの?」
 ベッドの中で改めてもう一度ゆっくりと愛し合った後、うつ伏せになっている私の背中に頬をつけて、まどろんでいた東野は、ちょっと顔を上げて、背中にキスをした。
「ハイヤーの運転手に報告させているんです。あなたがどこへ行ったのか」
「もう!それって、プライバシーの侵害よ」
「社用のハイヤーですから、誰も不審に思いませんよ。あなたの行方を把握するのが僕の仕事ですから」
「これからは、自分の車で会社に行くわ」
 唇を這わせていた、東野が、動かなくなる。
「そこまでなさりたいんですか?」
「やめたわけじゃないもの」
 背中を辛そうな溜息がくすぐった。
「引き裂かれるようですよ」
 私は、くるりと身体を返して、東野の瞳を覗き込んだ。彼の瞳をよぎる苦痛を味あうために。



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