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22、真樹(語り手は東野へ)

ここでは、「22、真樹(語り手は東野へ)」 に関する記事を紹介しています。
「真樹です」
「高月の秘書をしている東野と申します。申し訳ありません。こんなに朝早く」
「いいえ。かまいませんよ」
「昨日の夜、ゆきに会いました。先週は、彼女はプレイをしていません。今日の夜には、間に合わせたいんです」
 直前までどう話そうか迷っていたのに、彼が電話に出たとたん、説明の必要が無い事に気が付いた。彼は、みんな知っているに違いない。
「いま話せるんですか?」
「赤坂のNホテルです。瑞希はバスルームに」
「10時に伺います。プリンスホテルの三階のポトマックでよろしいですか」
「お願いします。ありがとうございます」
「……うまくいっているんですね」
 返事をする間もなく電話が切れた。一瞬の間と、ちょっと淋しそうなつぶやきが彼の気持ちを表していた。彼女がどう思っていようと、僕が彼女の秘書を始める前からずっと彼女の相手をしてきたのだ。彼女は不思議な魅力を持っている。男が夢中になり、一生を入れあげさせるような抵抗できないなにかだった。割り込まれて嬉しいはずがなかった。
「急用ができて……。すみません。すぐに戻ってきますから」
 僕の言い訳を瑞季は疑いもなく受け入れた。秘書としての習慣が僕らの関係を支配しているおかげだった。僕は大急ぎでシャワーを浴びて髭をそり、着替えてホテルを飛び出した。ポトマックまで、歩いても10分ほどだ。驚いた事に真樹はすでに来ていた。
「すみません。こんなに明るい場所でする話じゃないですね。ちょっと、選択を間違えたかな」
 確かにコーヒーラウンジには、朝の光が満ちていて、昨日の夜の出来事が嘘のように思えた。
「はじめまして。東野和希です」
 名乗ったものの、彼にじっと見つめられて思わず顔が赤らんだ。
「ああ。ごめん。覚悟していたのに、何だかせつなくて」
「すみません」
 謝ってはみたものの、せつないのはこっちも同様だった。この男の身体に瑞季の手が触れると考えただけで、目の前が真っ赤になるような気がした。
「いや、君のせいじゃないんだ。僕は結局、ゆきを消す事が出来なかった。…僕はずっと、君のような人が現れる事を願っていたんだ」
「僕のような…?」
「彼女とセックスできる男って事」
 びっくりした。真樹はなんでもないという様に手を振ってみせて、椅子に掛けるように勧めてきた。そして、ボーイを呼ぶとコーヒーを二つ頼んだ。彼は、誰がどう見ても、女の子が憧れる誠実そうな会社員という様子だった。すっきりとした垢抜けたスーツ姿で、退廃的な男を想像していた自分のあさはかさが、情けなくなるような気分にさせた。僕と彼との間に、瑞季が僕を選ぶ原因になるような違いは何もないように思えた。
「彼女、初めてだったでしょ」
「やっぱりそうだったんですね。」
 彼女の中に性急に押し入った時の突き破るような感覚。どう考えたって間違いようが無い。そう思ったのに彼女は頑固に認めようとしなかった。否定されれば初めての女性を抱いた事などなかった僕には、それを受け入れるしかなかったのだけど。
「う…ん。分からないけど。そうじゃないかと思う。僕のところに来た時には、彼女は本当に何も知らないお嬢さんのようだったからね。ナーバスで神経質で不器用で…それは、今でもそうなんだけど、すごく隠すのが上手くなった。それに、不安が消えて、わがままが言えるようになっただろう?その過程で、どういうわけか彼女は自分の過去に架空の恋人を作り上げてしまった。意識して作ったわけじゃないから、あちこちちぐはぐだし、嘘だと思ってないから、ものすごくいい加減な記憶なんだけど。その架空の恋人相手に関係があったと思っているから。ほんとは、多分…一度も無いと思う。彼女は性行為そのものを怖がっていた。その手前まではまったく平気なのに、どうしても最後まで出来ないんだ。多分、怖がっている自分という存在を認められなかったのかも…もう、通り過ぎてしまった事なら、あえて、やらなくても言い訳が立つだろう?」
 僕は、自分の行動に歯軋りしたい思いだった。会社の社長室のソファの上で、しかも何のロマンチックな囁きも愛撫も無く、いきなり突っ込んでしまったのだから。あまりの自己嫌悪に溜息をついた。真樹は、困ったようにちょっと微笑んだ。
「瑞季から聞いたよ。でも、それがよかったんじゃないかと思うんだ。多分、彼女に考える時間を与えなかった事が。ただ、それだけじゃない。それだけだったら、誰でもよかったんだから。彼女が、ちゃんと男として意識したのは、君が初めてなんじゃないかと思うんだ」
 思い当たる事があった。最初の三年間。彼女は僕を便利な機械を使うかのようにあつかった。その便利さを歓迎し感謝してはいても、性別を持つ人間なんだという意識は皆無の様子だった。どれほど、その事が悩ましく辛い三年間だった事か。
 それに、あのエレベーターでの出来事があった。彼女の振る舞いはどう考えても男を知らない女性のものではなく、僕はあっけなく手玉に取られてしまった。だから、思い込んでしまった。彼女が毎週訪ねる水曜日の館で多くの男と遊んでいるという想像は間違いのない事実だと……。
「ゆきは、いつからいたんですか?どうして彼女は現れたんです」
 真樹の顔が暗くなった。彼は周囲を見回して声が聞こえるところに誰もいないのを確認して、身を乗り出してきた。
「これは、彼女を紹介してきた人から聞いたんだけど、彼女は多分覚えていない。だから、僕が知っている事も知らない。君も、本当に必要な時以外は、知らない振りをして欲しいんだ」
「分かりました」
「彼女は、十二歳の時に、自宅の部屋に侵入してきた男に襲われた事がある」
 胸の中になにか固くて冷たい物が、シン……として冷たく揺るがない恐怖が現れて僕は凍りついた。
「縛られた。そして、殴られた。身体中に噛み痕が残されていたけど、最後まで行く前に  父親が気が付いて、彼女を助けようとして相手を殴り倒した。血が流れ。彼女は錯乱した」
 指先が冷たくなって周囲の風景がゆっくりと遠ざかり、目の前にいたはずの男がだんだんと小さくなっていく。
「彼女は、その時の記憶を持っていない。記憶をもっているのはゆきだ」
 少女の脅えた瞳。12歳。そうか。彼女の代わりにその辛い記憶を引き受けてきた少女。めまいと貧血が同時に襲ってきて、冷たい汗が吹き出し、僕は顔を覆って呻いた。真樹は、僕が言われた言葉を斟酌して飲み込むのをじっと待っていた。
「どうして、病院に連れて行かなかったんです?」
「解らない。多分、誰も気が付かなかったんだろう。彼女自身も。ゆきに会った時、紹介してくれた男に相談した。医者にも……。でも、彼女が知らないのに、どうやって治療を受けさせる?僕は彼女にとって、行きずりの人間でしかない」
「そんな……」
「でも、そうだ。何の法的権利も無い。……それから、医者が、時間が解決すると言った」
「時間……」
「彼女が楽しい思い出を積み重ねて、誰かを愛せるほどに成長して、そうなって初めて自分が傷ついていると認める事ができる。治療するとしたら、その後だ。だから僕は待っていた。彼女が僕に気が付くのを。もしくは他の誰かに…」
 どれだけの時間、彼はその思いを胸に、彼女の傍にいたんだろう。先の見えない不安を抱えながら。
「ゆきの痛みを引き受けると約束した。彼女の代わりに。それから、僕が相手を出来ない日は、他の誰かを……。説明しなくても彼女は自分でその必要性を感じていたと思う。きっちり一週間ごとにしていたからね。ただ、この一週間の期日もよく分からない事のひとつなんだ。結局、それがなぜなのか見つけられなかった。間に休みが入っても何も起こらない時もあったし……。いや、本当のところゆきがいつ出てきて、何をしているのか、四六時中一緒にいる訳じゃないから把握できなかったんだ。医者は、就寝儀式のようなものじゃないかと言っていた。自分で決めた平静でいるための習慣だよ」
 よどみなく、説明を続けていた真樹の瞳が暗く翳った。言葉が少しかすれうわずって、決して彼がこの話を楽にしているわけではない事を伺わせた。
「一番不安だったのは、君が彼女をどこまで受け入れられるか、彼女が君に本当に望んでいるとおりに振舞えるかだったんだ。もし、それが無理なら、君と彼女を分け合う事になっていたかもしれない……大丈夫だったみたいだけど」
 この人は、僕がSMする事に耐えられなくて、その部分だけを彼に預ける事を望んでいたのか?いいや、彼女が僕だけでなく彼ともプレイする事を選んだとしても、彼女の痛みを引き受けるのは僕でなければ耐えられない。僕は彼ほど寛容な恋人にはなれそうにもない。
 ああ。だとしても。彼女は決して僕を安んじられるようにはさせないだろう。僕が嫉妬に苦しめられる事が彼女にとっては喜びのひとつなのだから。自分に耐えられるだろうか。ほんの少しでも、彼女が彼と分かち合うものを認める事が。たった、三日前の水曜日に味わった焦燥と嫉妬を思い出すだけで身体がやけるような気がした。
「でも、ゆきを起こしてしまった」
「必要な手順だよ。実際にゆきに会わなければ信じられない。君に説明する事もできない。……意外だったのは、君がまったく回り道もせず、彼女にも問いたださず、まっすぐ僕のところへ来てくれた事だけだ。おかげで、彼女を不安にさせる事も無く、君に会う事が出来た。知っているかい?彼女は君を家に泊めるために、部屋の改装工事をしているんだ。わざわざホテルへ行ってプレイしなくてもいいように」
「……知りませんでした」
 それは、嬉しい驚きでもあったけど、彼女は僕にその事を話してくれなかった。そして、それなのに彼が知っている事は、僕にとっては辛い現実だった。
「そうか。僕は、もう十二日間彼女と会ってない。連絡も取ってない。彼女の様子を知っているのは、紹介してくれた高原氏が、この事を全部仕切っているからだよ。正直この十日は不安で眠れなかったよ。今までの治療の方針も全部医者と話して高原氏が決めた。彼は彼女の父親と懇意にしていたからね。もともとの事件から全部知っているのは、彼が話してくれたからだ。君は知らないだろうけど、彼は君の事を知っているよ。知っているからこそ、瑞季の好きにさせたんだ」
「あなたはそれで……いいんですか?」
 真樹が真摯な瞳で見返してきた。何もかもを射抜くような強い瞳の光。彼は背中をまっすぐすると、今までの優しそうな語り口を振り捨てた。仮面の下から彼女を守り続けてきた一人の男が現れた。
「君に言っておく。僕はもう彼女のものだ。僕が死ぬまで、このつながりは、決して切れない。今後、僕が彼女に一度も会わないとしてもね。いずれ、君にも分かるよ。従属するってこと、相手の痛みを引き受けるというのがどんなものか。君がそれを理解したら、僕が彼女に会う日もあると思う。すぐではないだろうけどね」
 彼は、テーブルの上に一枚の名刺を置いた。
「高原氏の連絡先だ。多分、自然に彼の方から知り合いになろうとしてくる。君が彼女と近づけば近づくほどね。今夜は、ゆきを眠らせて欲しい。あまりに彼女が長く起きていると、瑞季が、気が付くかもしれない。眠らせておくためには、間を一週間は開けないように。ただ、気が付くって事は、治療を始めるほどに回復してきたって事なんだそうだ。君を受け入れた時点で、彼女は変わって来ている筈だ。これからは、頻繁に記憶が戻ってくるかもしれない。その時は、彼女を瑞季とひとつにしてやってくれ。そうすれば、記憶も全部蘇る。辛いけど、いつかは、必要な事なんだろう」
 彼は一瞬目を瞑った。
「……いや、君が耐えられるのなら、ずっと、ゆきを眠らせたままにしておいてもいいんだ。君がそばにいれば、サディストである事は彼女を不幸にはしない」
「……わかりました」
「僕が必要な時は柚木に言って。瑞季の事は最優先にするから。僕に会った事を彼女には言わなくていい」
 彼の顔から徐々に表情が抜け落ちていく。そしておそらくは、僕の顔からも。一人の女性を挟んで、他にどう振舞いようも無かった。
 彼は立ち上がり、そして手を差し出した。僕は黙ってその手を握り返した。かなわない。いつか、彼と並べるほどに強くなりたい。彼は黙って背を向けて、そして立ち去った。




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コメント
この記事へのコメント
 真樹って、最初はこういうイメージじゃなかったんだけどなぁ。
どっちかって言うと東野が想像してたみたいな
退廃的なビュジアル男だったような気が・・・
いつの間に、化けたんだろう・・・。
で、黒いシルクののシャツに細い銀の鎖とか
着せるつもりだったのに・・・
この章に来て、どうやっても抵抗してスーツ着るって言うんだもん。
やっぱ、東野に対抗してるんだよ。うん。
瑞希がちゃんと女王様に育ってくれたら両手に花も出来たのに。
(ノ_・、)シクシク
2006/05/21(日) 16:50 | URL | さやか #DS51.JUo[ 編集]
幸せになってほしい…。
いつか身を引く日が来るって分かっていても
側にいた真樹さんの気持ちがせつないです。
いよいよその日がやってきて、
潔く自分の領分を守った真樹さんを尊敬する。
せつなにはできない。
きっと、泣いてわめいて縋ってしまうだろう。
東野さん!あとは任せたぁ~|=゚ω゚)ノィョゥ
2006/05/21(日) 12:46 | URL | せつな #-[ 編集]
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