こんにちは、ピーターラビットさん。
コメントをどうもありがとうございました。
あなたのご意見、大変興味深く読ませていただきました。
サディストやマゾヒストが「家庭の環境、トラウマなどからの自信・愛し・愛される+-の心理に影響されている」「性的欲求に置き換えたり、依存したがるのは、自分からの逃避、もしくは現実逃避」という、概念は常に存在してきました。
さやかも一時はおそらくはそうなのだろうと思ったこともあります。非常に多くのMの女性が両親もしくは家庭の軋轢を抱えている心情を吐露しています。あちこちでサディズムを持つ男性は母親に抑圧された過去があるという文献を読みましたし・・・(笑)
こんな変な性癖になったのは、私のせいじゃなくて、みんな親が悪いのよ♪
・・・・・・・・。
ほんとでしょうか?
確かに生育暦に問題を抱えるサディストさん、マゾヒストさんもいらっしゃるでしょう。しかし、生育暦に問題があるノーマルさんだってたくさんいる訳で、なぜ彼らはSMをしないんでしょうか。さやかは最近、それ以外の別の意見に接する機会を持ちました。
あ、ありうる・・・。(汗)
実はDSMの診断基準において、SMが治療対象になるのはその事について悩んでいる時だけなんです。つまり自分がサディスト、マゾヒストであることを受け入れられないもしくは性的嗜好を上手くコントロールできない・・・とにかく、それについて、医者に行くほどに悩んでいるって事です。
いやいや、日本において、いくら悩んでいたってそれで医者の所に行く人間なんて存在しないだろう。日本のサディストさん、マゾヒストさんは違うのじゃないだろうか。。。
しかし、非常にプライベートでカミングアウトする必要などさらさら無い性的趣向であるはずなのに、世間にバレたら社会的立場が危うくなると考えられ、常にその事を懸念せざるを得ないような環境の中で自己肯定感が得られるものだろうか・・・。
そんなこんなでさやかの中において、この問題は一時棚上げ状態となっております。
現在、日本においても、SMは非常にいろんな形で楽しまれ、実際には特にそのような性的趣向が無い人間でも『ちょっと試してみよう』『思ったよりもいいんじゃない?』感覚で流通し始めています。つまみ食いをしている彼らは、本来どうしてもSMじゃないと性的快感を得ることの出来ない方々から見れば、言語道断の軽いノリです。SとかMの言葉も性的趣向とは全く無関係に、性格の傾向分類に使われちゃったりするような時代になりました。
やがては『俺は日本酒が好き。』『いや、酒は焼酎に限るよ。』の会話のように『俺、吊りが好きなんだよね。』『いや、そこまでしなくてもちょっと手首だけ縛れば充分。』『俺は、全くそんなのしないぞ。』みたいなノリになっていくのでしょうか。
そうやって裾野が広がり、常識が少しずつ変化して、パートナーに自分の感じる場所を教えられるようになり・・・そして、そこに『SM』が入ってる事にうしろめたさを感じない時代が来るのかもしれません。
もっとも団鬼六大先生は『そんなのSMじゃない!』って怒ってらっしゃいましたけど。(⌒▽⌒) ケラケラ いつの場合にも、日本のエロティシズムは日陰の花であるべきなのかもしれませんね。

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コメントをどうもありがとうございました。
あなたのご意見、大変興味深く読ませていただきました。
サディストやマゾヒストが「家庭の環境、トラウマなどからの自信・愛し・愛される+-の心理に影響されている」「性的欲求に置き換えたり、依存したがるのは、自分からの逃避、もしくは現実逃避」という、概念は常に存在してきました。
さやかも一時はおそらくはそうなのだろうと思ったこともあります。非常に多くのMの女性が両親もしくは家庭の軋轢を抱えている心情を吐露しています。あちこちでサディズムを持つ男性は母親に抑圧された過去があるという文献を読みましたし・・・(笑)
こんな変な性癖になったのは、私のせいじゃなくて、みんな親が悪いのよ♪
・・・・・・・・。
ほんとでしょうか?
確かに生育暦に問題を抱えるサディストさん、マゾヒストさんもいらっしゃるでしょう。しかし、生育暦に問題があるノーマルさんだってたくさんいる訳で、なぜ彼らはSMをしないんでしょうか。さやかは最近、それ以外の別の意見に接する機会を持ちました。
SMや、ノーマルではない性行動について、心理学者やセラピスト(つまりSMをしない人々)によって今世紀に書かれた書かれた本のほとんどが、SMを「不健康な」人々によってのみ行われる危険な行為としています。その理由は、健康な人々は研究の対象となっておらず、これらの本の著者に精神治療を求めている人だけが対象となっていたということに過ぎません。
Rob Jellinghaus
あ、ありうる・・・。(汗)
実はDSMの診断基準において、SMが治療対象になるのはその事について悩んでいる時だけなんです。つまり自分がサディスト、マゾヒストであることを受け入れられないもしくは性的嗜好を上手くコントロールできない・・・とにかく、それについて、医者に行くほどに悩んでいるって事です。
いやいや、日本において、いくら悩んでいたってそれで医者の所に行く人間なんて存在しないだろう。日本のサディストさん、マゾヒストさんは違うのじゃないだろうか。。。
しかし、非常にプライベートでカミングアウトする必要などさらさら無い性的趣向であるはずなのに、世間にバレたら社会的立場が危うくなると考えられ、常にその事を懸念せざるを得ないような環境の中で自己肯定感が得られるものだろうか・・・。
そんなこんなでさやかの中において、この問題は一時棚上げ状態となっております。
現在、日本においても、SMは非常にいろんな形で楽しまれ、実際には特にそのような性的趣向が無い人間でも『ちょっと試してみよう』『思ったよりもいいんじゃない?』感覚で流通し始めています。つまみ食いをしている彼らは、本来どうしてもSMじゃないと性的快感を得ることの出来ない方々から見れば、言語道断の軽いノリです。SとかMの言葉も性的趣向とは全く無関係に、性格の傾向分類に使われちゃったりするような時代になりました。
やがては『俺は日本酒が好き。』『いや、酒は焼酎に限るよ。』の会話のように『俺、吊りが好きなんだよね。』『いや、そこまでしなくてもちょっと手首だけ縛れば充分。』『俺は、全くそんなのしないぞ。』みたいなノリになっていくのでしょうか。
そうやって裾野が広がり、常識が少しずつ変化して、パートナーに自分の感じる場所を教えられるようになり・・・そして、そこに『SM』が入ってる事にうしろめたさを感じない時代が来るのかもしれません。
もっとも団鬼六大先生は『そんなのSMじゃない!』って怒ってらっしゃいましたけど。(⌒▽⌒) ケラケラ いつの場合にも、日本のエロティシズムは日陰の花であるべきなのかもしれませんね。


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