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13、再トライ

ここでは、「13、再トライ」 に関する記事を紹介しています。
 振られたんだから男らしく諦めろ。他人に言うのはたやすいが、自分がその立場になればとても言えたもんじゃなかった。嵐のように襲い掛かってきた、このコントロールできない感情に俺は引きずり回された。
 恋っていうものはもっと甘酸っぱい感情なんじゃないのか。と、我と我が身に突っ込んでみてもどうしようもない。
 考えるのは、あの瞬間の彼の鎖骨のくぼみ。シャツを張り付かせた体のライン。空気を振るわせた低く響く声。俺の腕をつかんできた強い握力。そしてあっというまに心まで突き通した瞳の暗いゆらめき。
 こんなのは恋じゃない。あまりにかっこよい奴だったから、肉欲にあおられてくらくらしただけだ。なんてったって、歩くフェロモンって言われていたぐらいだし、そういう意味で女をひきつける奴なんだから。いくら自分に言い訳しても事態がよくなるわけじゃなかった。一瞬でもいい。もう一度その姿を目にしたい。もう一度その声を聞きたい。
 考えられるのはゼミの実験室。教授の控えの部屋。それから。それから…。だが、彼の姿を見つけることは出来なかった。
 「来週結果が出る」だとしたら、その結果を受け取りに大学に来るはずだ。週が明けると俺はありとあらゆる手を使って教授の部屋へ入り浸った。幸い連絡係だった俺が雑用を引き受けると、教授はまったく疑わずに俺を部屋へ入れてくれた。その週の間、俺はずっと教授の部屋でシュレッダーを掛けて過ごした。だが、神崎は現れなかった。俺は焦った。結果を受け取ったらアメリカへ帰ってしまうのじゃないだろうか。
 最後の勇気を振り絞ると、俺は教授に直に質問した。
「神崎先輩は、いつアメリカに戻られるんですか」
 教授は、シュレッダーに掛けるために、ホチキスの針を外そうと書類と格闘している俺に優しく答えた。
「向こうの用事はすんだと言っていたから、アメリカには戻らないんじゃないかな。もう、就職もこっちで決まっている筈だから。今は、そっちの研究室の方へ行っているんじゃないか」
 俺は、思わず目を閉じた。アメリカへ行ってしまう怖れは消えた。でも、もう一度彼に会うにはいったいどうしたらいいんだ?
「連絡を取りたいなら、そのコルクボードに携帯の番号が貼ってあったと思うが…」
 俺は、弾かれたように振り向いた。彼の名前と携帯番号がすっきりとした字体で書かれたメモは、いろんな連絡用のメモがピンで止めてあるコルクボードの上に確かに貼ってあった。
 やった。一歩彼に近づいた。でも、電話番号が分かったからって、電話を掛ける理由が見つからなかった。何しろ初対面の時にこっぴどく振られているんだから。どんな意味でも電話をするのは、困難だった。俺は、ありとあらゆるシチエーションを吟味して、そのすべてを捨てるしかなかった。
 残ったのは、先輩後輩として学業に関して質問することだった。人並み以上に優秀な人だったのだから、それだったら、電話を掛けても不思議じゃない。俺は、周囲の人間に尋ねて廻り、神埼が研究していたというテーマを探り出した。そして、図書館に行くとその関係の本を片っ端から読み漁った。生半可な質問を持って行くと、あっという間にその魂胆を悟られそうで、不安でならなかった。
 電話をする決心をするのに一週間かかった。携帯からかけて、知らない番号は取らない人だったらと思って、思い余って学校の事務局で電話を借りた。そして震える手を叱咤しながら、俺は彼に電話を掛けた。
「はい、神崎です」
 あっけないほど簡単に電話はつながり、俺は彼のあの声を聞いていた。俺は、相手が気付いて切ってしまわないうちに用件を全部言おうとして焦った。
「おれ、俺、二週間前に、横山教授のお部屋でお目にかかった、折原樹です。この電話番号は横山教授に教えてもらいました。あつかましいのは分かっているんですが、聞きたいことがあって…」
 神崎は沈黙した。俺は、もっと焦った。頭の中をでっち上げた質問がぐるぐる廻っている
「あの、あの…リアプノフ法による同期平衡過渡安定度解析についての…」
「俺は、男は抱かないって言ったよな」
 一瞬で全部見透かされた。俺は打ちのめされてぺしゃんこになった。重ねて嘘をつく度胸なんてこれっぽっちも残っていなかった。
「はい」
 俺は、うなだれてうなずくしかなかった。これで終り…。つながりは切れた。ぎゅっと目を瞑って、叫びだしたいのを堪える。俺は何で。何で一度会っただけの奴に、こんなに。こんなに囚われてしまったんだろう。もっとかっこいい奴だって、もっと優しい奴だって、すごいテクニシャンだっていたはずなのに……。涙が出そうだった。
「分かっているならいい。家に来い。夜の8時廻れば帰っているから住所は…」
 神崎は住所を言い終わると、念押した。
「復唱しろ」
 住所を復唱する。声がうわずって掠れた。
「駅から歩いて5分だ。場所分かるか?」
「はい」
 次の瞬間、電話はもう切れていた。俺は、受話器を握ったまま呆然と立ち尽くした。





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