彼が教えてくれた住所は結構名の知れたマンションの番号だった。駅前で尋ねれば誰でも知っているような大きなマンション。どうすればいいのか分からなくって、代わり映えしないのは承知のうえでコンビニで冷えたバドワイザー六本パックとつまみを買った。エレベーターで八階まであがり、目的の部屋の前まできた。その時、風呂場の換気扇が廻っている音がして石鹸の香りが流れてくるのに気が付いた。
俺は、玄関のドアに片手を付いて、どっと沸きあがってくる感情と戦った。彼に、触れたい。触れられたい。抱きしめられたい。キスしたい。……抱かれたい。
「俺は、男は抱かないって言ったよな」
耳の底に残っている彼の冷静な声。それでも俺は「三歩」彼に近づいた。会えないままになってしまったかもしれない昨日までとは違う。もう一度、彼に会う。勇気を出してチャイムを鳴らした。誰がやってきたのか確認もせずにいきなりドアが開いて、おれは慌てて後ろにバックステップした。
そこには明らかに風呂上りと分かる神埼が濡れた髪の毛を拭きながら立っていた。入れ、というように顎をしゃくると、そのまま部屋の奥へ戻っていく。あまりにもそっけない扱いに、戸惑いながら俺は靴を脱いで、振り向き玄関の鍵を閉めた。なぜだか、ガチャという金属音が俺の胸を震わせる。
入り口に続く左右にドアがある廊下を進むと、大きなリビングダイニングに出た。学生の住むマンションじゃないかも。おれは不安になって周囲を見回した。
「一人暮らしなんですか?」
「ああ、そうだ。叫んでも誰も来てくれんぞ」
すっきりと片付いた室内は、普通じゃないようなモダンな家具で占められていた。神崎は俺が持ってきたパッケージのバドワイザーから、二本を外してソファの前のローテーブルの上に置いて、残りを冷蔵庫に入れるために台所に消えた。
落ち着かなく辺りを見回していた俺は、壁際にある不思議な形をしたベンチに目を惹きつけられた。どっしりとして磨きこまれたむく材で作られた木の枠のような背もたれのついた家具。足元は優雅にカーブを描く模様を掘り込まれた支えが取り付けられ、向こう側には、足を乗せるための踏み台が、そしてこっち向きのほうにはベンチがついていた。
上の枠には真ん中に大きな穴がひとつ、両側に小さな穴がふたつ開いている。右端に大きな飾りのついた南京錠が付けられていた。なんだろう?宗教色の強い家具にみえる。この穴は…?小さな二つの穴には、セーム側で作られたクッションのようなものが貼られていた。ちょうどみっつの穴をつなぐように切れ目の筋が入り、南京錠を外せば上に開くのではと思われた。もしかして手枷?
中世の魔女裁判で拷問の道具に使った晒し台のような…そんな形。触るとひんやりと冷たくてすごく重くて堅い木で作られているようだった。俺はごくりと咽喉を鳴らした。
戻ってきた神崎は、透明なグラスを持っていて、バドワイザーの横へ並べた。俺は慌てて、その家具から視線を引き剥がし、彼の前に座った。
心臓が早鐘のように打ち始める。
「で?確認しときたいんだが……」
「はい」
「ほんとに質問があるのか。…それとも俺に会うための嘘か?」
俺は、ひっぱたかれたようにすくみあがった。神崎に嘘をついても通らない。そう思い知らされた。ここまで来て恥の上塗りをしたく無かった俺は、正直に言った。
「うそ、です。ただ、もう一度会いたかっただけ」
神崎はソファの背に体を預けて足を組んだ。ビールをあおりながら、目を細めて俺のことを上から下までじろじろと見る。やがて、諦らめたようにひとつ息をつくと、さっき俺が思いっきり凝視していたものへ視線をやった。
「見たろう」
「はい」
「何で俺がお前を抱かないって言ったか分かったろ」
え?…分からない…何を言いたいんだ。俺はもう一度後ろを振り返ってその家具を見た。不審そうに振り返る俺を見ると、神崎は、今度ははっきりと俺に聞かせるためにため息をついた
「あれは、手枷だ。そして、俺は、サディストだ」
それがどういうことか分かるまでものすごく時間がかかった。そして、分かった時は全身に鳥肌が立っていた。つまり彼は、相手をあそこにつなぐような性癖の男ってことだった。
まったく想像もしていなかった事態。改めて分かってから、部屋を見回すと、確かに、それらしい道具があちこちに堂々と置かれている。棚に並べられているステンレスのオブジェやイタリアングラスのディルドォ。そして壁にかかっている大きなパドルや鞭。
「だから、俺はお前を抱かない。それでも、訪ねて来たいか?」
来たい。その言葉だけははっきりとネオンサインのように俺の胸に点滅する。
彼に会えるなら、何でもいい。もう、今さら彼を諦めるなんてできそうにない。俺は、餓えて干からびて死んでしまうような想いをするだろう。うなずいた俺に、神崎はさっきよりも、もっと深い溜息を聞かせると立ち上がって飾り棚の引き出しから二枚の紙を取り出して、俺の目の前に置いた。STDとHIV検査の紙だった。陰性…。
俺は訳が分からず彼の顔を見た。
「検査を受けたことは?」
俺が首を横に振ると、神崎はそうだろうなというように、ひとつうなずくと、その紙を取り上げてまた引き出しに戻す。
「次に来る時は、お前もこれを持って来い。どういうアクシデントがあるかわからないのに、素性の知れないゲイの男を引き込むのはごめんだ」
俺は顔を赤くして黙ってうなずいた。しばらく考えて、おそるおそる質問する。
「遊びに来ても、かまわないってことなんですか?」
神崎はにやりと笑って腕をソファの背にかけた。
「かまわないぜ。お前にその度胸があるのならな」
一瞬目を瞑ってから、俺は背中の向こうにある恐ろしい道具のことを考えた。今は、もう、振り向いてみることさえも怖ろしい。俺は、ただ固くなって背中だけでその気配を探ってしまった。固まっている俺に神崎は白い携帯を差し出した。
「携帯の番号を置いて行けよ」
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俺は、玄関のドアに片手を付いて、どっと沸きあがってくる感情と戦った。彼に、触れたい。触れられたい。抱きしめられたい。キスしたい。……抱かれたい。
「俺は、男は抱かないって言ったよな」
耳の底に残っている彼の冷静な声。それでも俺は「三歩」彼に近づいた。会えないままになってしまったかもしれない昨日までとは違う。もう一度、彼に会う。勇気を出してチャイムを鳴らした。誰がやってきたのか確認もせずにいきなりドアが開いて、おれは慌てて後ろにバックステップした。
そこには明らかに風呂上りと分かる神埼が濡れた髪の毛を拭きながら立っていた。入れ、というように顎をしゃくると、そのまま部屋の奥へ戻っていく。あまりにもそっけない扱いに、戸惑いながら俺は靴を脱いで、振り向き玄関の鍵を閉めた。なぜだか、ガチャという金属音が俺の胸を震わせる。
入り口に続く左右にドアがある廊下を進むと、大きなリビングダイニングに出た。学生の住むマンションじゃないかも。おれは不安になって周囲を見回した。
「一人暮らしなんですか?」
「ああ、そうだ。叫んでも誰も来てくれんぞ」
すっきりと片付いた室内は、普通じゃないようなモダンな家具で占められていた。神崎は俺が持ってきたパッケージのバドワイザーから、二本を外してソファの前のローテーブルの上に置いて、残りを冷蔵庫に入れるために台所に消えた。
落ち着かなく辺りを見回していた俺は、壁際にある不思議な形をしたベンチに目を惹きつけられた。どっしりとして磨きこまれたむく材で作られた木の枠のような背もたれのついた家具。足元は優雅にカーブを描く模様を掘り込まれた支えが取り付けられ、向こう側には、足を乗せるための踏み台が、そしてこっち向きのほうにはベンチがついていた。
上の枠には真ん中に大きな穴がひとつ、両側に小さな穴がふたつ開いている。右端に大きな飾りのついた南京錠が付けられていた。なんだろう?宗教色の強い家具にみえる。この穴は…?小さな二つの穴には、セーム側で作られたクッションのようなものが貼られていた。ちょうどみっつの穴をつなぐように切れ目の筋が入り、南京錠を外せば上に開くのではと思われた。もしかして手枷?
中世の魔女裁判で拷問の道具に使った晒し台のような…そんな形。触るとひんやりと冷たくてすごく重くて堅い木で作られているようだった。俺はごくりと咽喉を鳴らした。
戻ってきた神崎は、透明なグラスを持っていて、バドワイザーの横へ並べた。俺は慌てて、その家具から視線を引き剥がし、彼の前に座った。
心臓が早鐘のように打ち始める。
「で?確認しときたいんだが……」
「はい」
「ほんとに質問があるのか。…それとも俺に会うための嘘か?」
俺は、ひっぱたかれたようにすくみあがった。神崎に嘘をついても通らない。そう思い知らされた。ここまで来て恥の上塗りをしたく無かった俺は、正直に言った。
「うそ、です。ただ、もう一度会いたかっただけ」
神崎はソファの背に体を預けて足を組んだ。ビールをあおりながら、目を細めて俺のことを上から下までじろじろと見る。やがて、諦らめたようにひとつ息をつくと、さっき俺が思いっきり凝視していたものへ視線をやった。
「見たろう」
「はい」
「何で俺がお前を抱かないって言ったか分かったろ」
え?…分からない…何を言いたいんだ。俺はもう一度後ろを振り返ってその家具を見た。不審そうに振り返る俺を見ると、神崎は、今度ははっきりと俺に聞かせるためにため息をついた
「あれは、手枷だ。そして、俺は、サディストだ」
それがどういうことか分かるまでものすごく時間がかかった。そして、分かった時は全身に鳥肌が立っていた。つまり彼は、相手をあそこにつなぐような性癖の男ってことだった。
まったく想像もしていなかった事態。改めて分かってから、部屋を見回すと、確かに、それらしい道具があちこちに堂々と置かれている。棚に並べられているステンレスのオブジェやイタリアングラスのディルドォ。そして壁にかかっている大きなパドルや鞭。
「だから、俺はお前を抱かない。それでも、訪ねて来たいか?」
来たい。その言葉だけははっきりとネオンサインのように俺の胸に点滅する。
彼に会えるなら、何でもいい。もう、今さら彼を諦めるなんてできそうにない。俺は、餓えて干からびて死んでしまうような想いをするだろう。うなずいた俺に、神崎はさっきよりも、もっと深い溜息を聞かせると立ち上がって飾り棚の引き出しから二枚の紙を取り出して、俺の目の前に置いた。STDとHIV検査の紙だった。陰性…。
俺は訳が分からず彼の顔を見た。
「検査を受けたことは?」
俺が首を横に振ると、神崎はそうだろうなというように、ひとつうなずくと、その紙を取り上げてまた引き出しに戻す。
「次に来る時は、お前もこれを持って来い。どういうアクシデントがあるかわからないのに、素性の知れないゲイの男を引き込むのはごめんだ」
俺は顔を赤くして黙ってうなずいた。しばらく考えて、おそるおそる質問する。
「遊びに来ても、かまわないってことなんですか?」
神崎はにやりと笑って腕をソファの背にかけた。
「かまわないぜ。お前にその度胸があるのならな」
一瞬目を瞑ってから、俺は背中の向こうにある恐ろしい道具のことを考えた。今は、もう、振り向いてみることさえも怖ろしい。俺は、ただ固くなって背中だけでその気配を探ってしまった。固まっている俺に神崎は白い携帯を差し出した。
「携帯の番号を置いて行けよ」
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