「いつ日本に帰るんだい?」
尾高晃は、がらんと片付いた部屋の床に座り込んでカメラを磨いている聡史に話しかけた。
「来週だ。お前は?」
「今週の金曜日だ。じゃあ、お前の方が遅いんだな。それなのに、何もかも売っぱらっちまって、これから一週間どうするんだ?」
「ああ、そうだな。誰かの家に転がり込むさ」
「のんきな奴」
「晃は、帰国してからの日本での仕事はもう決まっているのか」
「うん、何箇所かオファーが来ている。ただ、もともと、定職につけるような職種じゃないんだ。パトロンがいるのさ。渡米費用も彼が出している」
尾高晃は、いわゆる縄師だった。SMで縄を使って女性を縛る事を生業としている。まだ、二十六歳の若さとはいえ、手早く綺麗な縛りをするという事と、今風のルックスの見栄えとで、ショーのお呼びは結構あるのだった。半年前に、本場のボンデージを知るために渡米してきて、ひょんなことから磯崎聡史の写真集の手伝いをすることになった。
「Bondage」と、題された写真集の撮影で、ほとんどスタッフを入れないという独自の聡史の撮影方法でも、さすがに、たった一人で女性を責めながら写真を撮る事は不可能だった。それに、拘束具や鞭が女性の体に与える影響も考慮しなければならない。また、それ以上にただ美しい写真を撮るだけでなく、モデルの被虐美を写し取りたいという聡史の希望もあって、モデルを責めることで独特の表情をひきだすという技術的な部分で晃は大きく貢献したのだった。
「Bondage・2の撮影は、いつから始めるんだ?」
まだ、発売もしていないのに、すでに相当の前評判があるという「Bondage」は、すでに二冊目の企画が進んでいるのだった。
「彼女が承知したらすぐ」
「聡史。本当に、恋人の詩織ちゃんにモデルになってくれるよう口説くつもりなのか」
「うん」
晃は呆れたように溜息をついた。「Bondage」の撮影の最中も聡史は、ずっと憑かれたようにその話をしていた。だが、晃自身は、終盤、撮影がだんだんとエスカレートしてくると、素人のモデルを使っての撮影は不可能なのではないかと思えてきたのだ。
第一にその詩織という女性は、SMについては何も知らないという。そんな女性にとって、この写真集を恋人の作品であるとして受け入れる事だって容易じゃないだろう。ましてや、自分がその世界に飛び込むなんて、考えてもいないに違いない。
それに、ただ、SMをするだけじゃない。写真集として日本とアメリカで広く一般の人の目に触れる写真を撮るのだ。当然、モデルの経験の無い詩織にとってものすごい抵抗があるに違いなかった。プロのモデルであれば、また状況は違ってくる。仕事であれば服を脱ぐ事も、それが流通する事も本人も周囲も当然のことと認識している。たまたま、題材がSMであっても、仕事のひとつであれば、さほど耳目を集める事もあるまい。
「晃、手伝ってくれるだろう?今度こそ、お前がいないとどうにもならないんだ。緊縛がメインなんだからな」
「手伝うけど……。だけど、ちゃんと相手が納得して無いと嫌だぜ。恋愛を盾にして無理強いするなよな」
「お前はそう言うが……」
聡史は、磨き上げたカメラをケースに仕舞いこみ始めた。
「俺は、もうすっかり、あの世界に足を突っ込んじまった。最初に撮影を始めた時は、必要からSMにのめりこまないと、と自分を煽っていたのに、途中からおかしくなっちまった。嵌っちまったんだよ」
苦々しげに顔を歪める男は、髪を掻き揚げて立ち上がる。
「多分、俺はもう元には戻れない。だったら……」
だったら、詩織を。
別れるか、無理矢理でもSMの世界に引き込むか。悩ましそうに視線を彷徨わせる聡史。
晃は、再び溜息をついた。そうだ、この男はすっかり染まってしまった。元から、そういう性癖があったのか、それともそうならなければあの写真は撮れなかったからなのか。そこは、晃には判断できないが、だが、墜ちていったからこそのあの写真なのだ……と、いうことだけは分かっていた。
晃は、縄師としてSMの世界に身を置いてはいても、パフォーマンスを展開するために他人の身体を預かっているせいか、どこか醒めた部分を持ち続けながら行為に及んでいる。そして、冷静でいるからこそ、縛られる人間や、縛る人間の中に、本性のままにのめりこんでいくタイプの人間がいることもよく分かっていた。
いつか自分もその壁を突き抜けないと、受け手の人間とひとつの世界を構築する事はできない。それは、晃にとっても課題のひとつだった。
彼女が、承知しなければ、他の女性をモデルに選ぶ事になる。モデルとの世界に、とことんのめりこんでいく聡史だからこそ、恋人をモデルにと願ってしまうのだろう。だが、その写真が世間に出回るときに、惚れ込んだ相手の責め姿が他の男の目に触れることに、普通の男が耐えられるものなのだろうか。愛する相手を縛り上げる。もし、自分だったら……。
まだ、若く、人とそこまでの深い中になったことの無い晃は、この半年間、ずっと一緒に女を責めていた男が落ち込んでいる泥沼が、想像できなかったのだった。
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この記事へのコメント
気が付くと誰かの視点になってるの。
どうすりゃいいんだい?
でも、いつまでも避けて通れないのよね。
この間の「ずっとあなたが好きでした。」で
語り手を強引に変えて凌いだように、本人がいない場面を書けないから。
練習。練習。...((((ノ^^)ノ ウヒョヒョヒョ (o_ _)oドテッ
どうすりゃいいんだい?
でも、いつまでも避けて通れないのよね。
この間の「ずっとあなたが好きでした。」で
語り手を強引に変えて凌いだように、本人がいない場面を書けないから。
練習。練習。...((((ノ^^)ノ ウヒョヒョヒョ (o_ _)oドテッ
視点が移動しないように書くのって難しいですよね。
(ってなぜか偉そうでスミマセン><)
せつなも最初の頃、ranさんへ提出するレポートは「三人称」で書いていたんです。
でもうまく書けなくてすぐ断念しました。
さやかさまのはすごくスムーズで全く違和感ないです。
すごいなぁ…!
(ってなぜか偉そうでスミマセン><)
せつなも最初の頃、ranさんへ提出するレポートは「三人称」で書いていたんです。
でもうまく書けなくてすぐ断念しました。
さやかさまのはすごくスムーズで全く違和感ないです。
すごいなぁ…!
2006/06/23(金) 12:36 | URL | せつな #-[ 編集]