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1、Bondage photo

ここでは、「1、Bondage photo」 に関する記事を紹介しています。

 詩織は、目の前にあるA3の写真集を見つめた。表紙は黒く、しゃれた斜体の白抜きの文字で真ん中にBondageと書かれている。ページをめくるとあまりにも月並みなパターンの白っぽくさえ見える金髪に凍るような青い目,そしてミルクのようにまっしろな肌の美しい女性が白いドレスを着て立っていた。手には真っ赤なバラの花を握っている。もう一枚ページをめくる。女性は手枷をはめてうつむいている。さっきのバラは足元に散らばっていた。白い素足が清楚な感じなのに手首の黒い枷はあまりにもまがまがしい。
 またページをめくる。詩織はどきっとした。女性は横向きになっている。ドレスの肩から胸にかけて引き裂かれ、すっきりとしたデコルテのラインがむき出しになっていた。布の影に胸のふくらみの端が見えている。いっそ扇情的ともいえるような写真なのに、女の表情はあくまで静かで瞳は遠くを見ている。
 だが、見つめる詩織の心は、もう、静かとは言えなかった。次々とページをめくっていくとだんだんと女性のドレスは引き裂かれ、明らかに暴力によって引き倒されたかのようにいたいたしいようすをしている。すでに足にも別の枷がかかり彼女のむき出しになった身体は、濡れたように光っていた。
 次のページをめくった時、詩織は息を飲まずに入られなかった。瀟洒な更紗模様の椅子に後ろ向きに拘束された女性は、すでに全裸で、長く流されていた金髪はくるくると巻かれてピンでひとつにまとめられている。後れ毛が光って細いうなじに落ちかかっていた。
 真っ白な背中にくねる腰。ふっくらと丸いふくらみを見せている尻。その尻を斜めに横切って赤い蚯蚓腫れが、くっきりと浮かび上がっている。女の足元には、編みこみの一本鞭が落ちていた。差し出された生贄は、苦痛にふるふると震えているかのようだった。
 詩織はその写真に釘付けになった。あまりにも禍々しくそれでいて、心をわしづかみにされたような衝撃に胸をつかまれて、詩織は大きく息を吸い込んだ。
その美しい西洋の生贄を撮ったカメラマンは、彼女の恋人なのだった。
 磯崎聡史は彼女よりもみっつ年上の三十一歳。カメラマンとしては、ようやく名前が知られ始めたばかりという状態だった。ニューヨークの写真を撮るために渡米して二年が経った。
 その間に一度だけ、彼女に会いに帰ってきた。彼女も一度だけニューヨークに会いに行った。向こうでそれなりに仕事を見つけた彼は、半年前に念願のニューヨークの街の風景の写真集を出した。その写真は、日本でもそれなりに話題になった。けっして楽ではないだろうが、フリーのカメラマンのスタートとしてはまあまあだったのではないか。
 もう一冊、企画があるから、その写真集を仕上げたら帰るという約束は、来週ようやく果たされる予定だった。そして、アパートを引き払うために、あれやこれやの身の回り持ち物とは別に、この写真集も出版前に特別に彼女宛に送られてきたのだった。
 聡史との付き合いは、もう8年になる。長い春。彼がニューヨークへ行ってしまった時には周囲の友達にも随分とあれこれ言われたけれど、お互いに早くに両親をなくしていた気楽さから、そのうちには…と思っているうちに、ここまで来てしまった。
 だが、こうやって送ってこられた二冊目の写真集は、あまりにも意外な内容で、詩織はすっかり動揺していた。その八年の長い春の間、彼がそんな物に興味を持っているという気配さえ見せたことがなかったので、詩織にとっては本当に不意打ちだったのだ。

 都心の小さなギャラリーの受付をしていた詩織は、そこで個展を開いた若いカメラマンのグループの中にいた聡史と出会った。
 まだまだ、学生のような身なりをした貧乏なカメラマンの助手。それが、彼だった。だから、二人の間にあったのは、本当に地味な付き合いだった。きざな台詞も特別なホテルでの夜もなく、だんだんと近づいて静かに恋に落ちた。その恋は深く彼女を捉えていたけれど、決して激しくも強くも無く、いつかやがてゴールへ行きつくことが出来るだろう…と、思わせる自然な流れで、お互いに納得していた。
「悪い。後、半年。待っていてくれないか」
 そう言って頭を下げられた時、その笑顔はいつもどおりだったし、詩織も何の不安も無く、半年たったら彼は自分の元へ戻ってくると思ってうなずいた。それが、二年になり、そして、この写真集だった。彼がこの写真を撮る。想像もつかないようなギャップに、詩織は眉を寄せた。美しく、恐ろしく、物悲しい。痛めつけられた女の身体。あらゆる格好に、あられもなく引き裂かれた身体。エロティックだけど、いやらしさや下劣さとは、まるで無関係な写真だった。しかし、これだけ対象に深く切り込むためには、ただ漠然とカメラを向ければいいというものではない事だけは、詩織にも分かっていた。
 この作品を生み出すためには、彼は、この女性と女性が構築する世界を、深く自分の中で醸成していっただろう。その事実は詩織を不安にさせた。足元から崩れ落ちていくような、確かなよりどころを失った不安。あの人は、変わってしまったの?
 それとも、私は、この八年間なにも見ていなかったのだろうか。脳裏をよこぎる屈託の無い笑顔。それでも、ひとたびカメラを構えれば、私など寄せ付けない世界を築き上げられる人。詩織は、唇を噛んで、窓の外を見やった。ぽつぽつと降り始めた雨が、窓ガラスに模様を作って流れていく。
「聡史…」
 あれほど待っていたはずの、恋人の帰宅は一週間後にせまっていた。



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