１６、距離とバランス

｢だめだってば！馬鹿！やめろよ。いやだ」
　派手に罵倒する淳一の声がしたと思うと居間のドアが乱暴に開かれて、素っ裸の淳一が高原の強引な腕に引きずられるようにして入ってきた。しっかりと絹の目隠しをされて、手首は後手にひとつにくくられている。
｢各務がいたらどうすんだよ！やだってば」
　高原は、寝椅子に横になって、本を読んでいた僕の顔を見てにやりと笑った。その悪趣味さに、ちょっと眉をしかめて見せたが、立場上結局は彼に加担する事になってしまうのだ。持っていた本を黙って体の上に伏せてじっと様子を見る。
　高原は淳一の体をひょいと持ち上げると部屋の中央にある、むく板の大きなテーブルの上に乗せあげた。淳一は逆らって暴れるが、コツを知っている高原の手にかかると子供のようにあしらわれてしまい、あっという間にうつぶせにさせられている。背中を押さえてポケットから引っ張り出した縄で手首と足首を重ね合わせてくくり始める。
｢イヤだって！こんな場所で。誰か来たらどうするん……」
　淳一の声が急に小さくなったと思うと、はっとしたように、目隠しされて見えない顔が、その絹の向こうをうかがうようにこっちを向いた。急に押し黙って、耳を済ませている。同じ部屋に、僕がいる気配を探ろうとしているのが分かった。右手と右足。左手と左足を高原が重ね合わせて縛っている間、はかばかしい抵抗もせず、周囲を探るように頭をめぐらせる。急激に 高まる彼の心臓の音がここまで聞こえてくるような気がした。
　だが、最初から息を殺していた僕の気配を明確に捉える事が出来なかったのだろう。疑いながら、怪しみながらも、同じ部屋にいる確信も見つけられず顔を伏せるしかなかった。気がついたときは、すでに、どう抵抗のも無い姿勢に拘束されてしまっていた。
　高原は淳一のそばから離れた。それだけで、淳一は高原の位置を見失った。その事実が淳一の不安をなおさら煽る。確かに、今まで彼に触れていた人間の気配がわからないという事は、誰が部屋の中にいても淳一には分からない。息を殺し、必死に高原の位置を感じようとしているが、じっと動かないせいで衣擦れの音さえ捉えられない。淳一は闇雲に手足を引っ張って縄を緩めようとする。だが、高原のかけた縄がゆるむはずもなく。姿勢を崩す事は出来なかった。
｢くっ……」
　悔しそうに、呻いても何も変わらない。淳一はあきらめたのか体の力を抜く。その内腿を高原の指がそっと撫で上げた。
　びくっと、硬直した淳一は、そのまま動かなくなった。ぷつぷつと鳥肌が立ちあがる。不安げにすべての感覚を総動員して周囲の様子を探ろうとしている体は、 ある意味では何もガードできず無防備だった。どこを触られても、どこを刺激されても、何倍も何十倍にも感じてしまうに違いない。押し殺そうとする自分の呼吸音すら、あたりに響いて聞こえているだろう。
　それに、淳一にとって、高原と過ごす夜は数えて二週間ぶりになる。おまけにこの一週間、 拡張訓練も全部自分でまかなわなくてはならなかった。セックスの間が空くと体は確実に敏感になるものだ。自分の手による行為など、所詮は代替に過ぎない。 耳をそばだて、高原の手がどこから近づいてくるのか必死で探ろうとしている淳一の体は、感覚器官として全開になっているも同然だ。


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