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6、冷たい霙

ここでは、「6、冷たい霙」 に関する記事を紹介しています。
 いつの間にか、少しずつ、いつの間にか、段々と大きく、事態がほころび始めていた。失われた時間に、瑞季が気が付くのも、すぐだった。前の夜に飲んだ筈のないグラス。交わしたはずの無い会話のおぼろげな記憶。波状に襲ってくる頭痛と意味の無い映像。
 きっちりと分けられていたはずの瑞季とゆきの記憶が交差しあい交じり合いだすと、それは加速度的にひずみを大きくしていく。不審げに向けられて来る瑞季の視線に、隠し通すのは限界なのでは…と、危ぶみながら薄氷を踏む毎日。それはゆっくりと近づいてきている。
 その日、いつもの週末を過ごそうと、仕事帰りに彼女を車で送ってマンションを訪れた。簡単な夕食の支度をして、風呂に入っている彼女が上がってくるのを待つ間、ソファに腰を降ろして雑誌を読んでいた。
 薄曇の空がすでに暗い。ガラスに映る遠い街並みの灯りがぽつぽつと増えていくのを時々、見やりながら、僕は所在無く雑誌のページをめくる…。これから、どうして行くのがベストなのか、その事が常に頭から離れなくなっていた。
 バスロープのままの瑞季が濡れた髪を拭いながら、バスルームから出てきた。雑誌をめくっている僕を見つけ、その横に座る。
「あたし……最近、変じゃない?東野」
「どうしたんです?何か変わったことがあったんですか?」
「あたし、あたしね……」
 眉を寄せて頭を振る彼女の中で何が起きているのか分からない僕は、不安に胸を絞り上げられるようだった。思わず彼女の身体を掴んで揺さぶってしまいたくなる衝動。やめるんだ。考えないで。まだ、思い出すんじゃない。
 何を探しているのか思い出せない様子でいぶかしげに視線を部屋の中に彷徨わせ、それから不思議そうにゆっくりと顎を上げて、僕をみつめた彼女は、ぱちぱちと、瞬きをして、何かを話そうと、口を、開けたまま、動かなくなった。
 そして、フラッシュバックが彼女を捕まえた。
 一瞬で蒼褪め、恐怖に凍りつく彼女の表情が、時の向こうの記憶が押し寄せてきたのを僕に報せた。僕は、持っていた雑誌を放り出して、ひと跳びで彼女の側まで行った。彼女の身体を捕まえて、引き寄せようとする。
「いやああああああああああっ!!」
 彼女の無意識のうちに振り払った腕が、僕の肩にぶつかった。押しのけようとする鉤爪のように曲がった指が、僕の身体に食い込む。パニックになって、彼女を捕まえようとしたのにうまく行かなかった。
 後から思い返せば、彼女は僕と少女の頃に自分に危害を加えた犯人との区別が付いてなかったのだと思う。喉が切れるんじゃないかと思うほどに叫び続け、めちゃくちゃに暴れて僕をつきのけようとした、押さえつけようとする僕の腕や身体を殴りつけ蹴りつける。
 恐ろしく長く本当は短い数分の後に、彼女は笛のように甲高く息を吸い込んだと思うとひくっと引き付けて昏倒した。受け止めた彼女の体がぐったりと重く冷たいのを知って、混乱を起こした僕は、思わず彼女の名を呼びながら揺さぶった。彼女は息をしてなかったのだ。必死になって、彼女の頬を張り、名前を呼ぶ。首を仰け反らせて気道を確保して息を吹き込む。
「瑞季!瑞季!お願いだから。息をして!」
 そんな馬鹿な。息をしていない彼女の顔がどんどん紅潮していく。それがどういう事なのか解らず、混乱に拍車をかけた。恐怖に凍りつきその顔を見つめながら激しく揺さぶった。死んだりしない。ちょっとヒステリーを起こしたぐらいで、そんな事になるはずが無い。そう思いながらも怖ろしさに自分のほうがどうにかなりそうだった。
 実際はほんの短い時間だったに違いない。次の引き付けが来た時には、彼女は息を吹き返していた。二度。三度。彼女の身体は、まるで壊れた人形を揺さぶったときのように頼りなく跳ね。そして、彼女は意識を取り戻した。
 ぱっちりと開けた目が、驚いたように僕を見つめた。あっという間に涙が盛り上がってあふれ、次の瞬間には、号泣していた。声を張り上げて泣く瑞季を僕はしっかりと抱きしめて胸の中にかいこんだ。
「大丈夫。大丈夫だから。もう、終わったんだ。何も心配ないよ。瑞季。瑞季」
 激しく泣き続ける彼女を抱きしめて、揺すりながら、僕はどうしていいのか皆目検討が付かなかった。
 泣く事は、考えている以上に彼女の体力を消耗させたのだろう。一時間もたって彼女がしゃくりあげながら、ぐったりと僕の腕に身体を預けた時には、彼女はすでに意識を失っていた。
 動かなくなった彼女を抱きしめたまま、僕は迷い続けた。どうするか選ぶのは、僕しかいない。彼女の保護者代わりになっている高原氏に連絡を取ったとしても、普段から忙しい彼がすぐ駆けつけられるかどうか。僕は彼女のために連絡できる相手の名前を次々に思い出しては捨てた。
 その夜は寒く霙が降っていた。遠くからだんだんと近づいてくる救急車のサイレンは、思いの外甲高く響き、僕は自分の冷たい心臓の上を迷いと後悔と不安にかられて、強く握りしめた拳で押さえるしかなかった。


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コメント
この記事へのコメント
 もちろん自分で作ったキャラクターの中で
いっちばん惚れてる奴だからめちゃくちゃ大事にしています。
しかし・・・さやかの趣味で作ったキャラに
現実感があるかは問題だ。ウーン (Θ_Θ;)
検索コンピューターだよ。
鉄壁のポーカーフェイスだよ。
もちろん一家に一台備え付けとけば便利だけどさぁ・・・。
2007/01/06(土) 14:06 | URL | さやか #DS51.JUo[ 編集]
霙⇒調べてしまいました..._〆(゚▽゚*)
よめなかったせつなです(恥。
いつか分かる時がくるのは確実だけど
なるべくそれを回避しようとする…
(手をこまねいていたとしても…)
東野さんが好きだー!
とても人間らしいというか
現実感がある人物なんですよね…。
2007/01/03(水) 14:30 | URL | せつな #3/VKSDZ2[ 編集]
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