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7、喪失

ここでは、「7、喪失」 に関する記事を紹介しています。
 病院の白いベッドは、失ってしまった昨日のように現実感がなかった。点滴を二本打って、やっと、顔色が戻って起き上がった瑞季は、ひどく不思議そうな表情で僕を見た。その、あまりに素直な凝視に僕はたじろぎ、怯んだ。
「あなた……だれ?」
 足元が崩れ落ちるとは、こういう事を言うんだろうか。何と答えていいか分からず、問い返す言葉も無かった。
 ナ―スコールのボタンを探る手は震え、その間も現実に起っている事を認めたくない気持ちが沸々と沸きあがってくる。自分の行動の何が悪かったのか、何が引き金になってしまったのか、分からない問いを繰り返し、その前後の映像がグルグルと頭の中を廻る。
 起きた事実は嘘のように頼りなく薄靄がかかっている。巻き戻せるものなら昨日の朝へ戻ってやり直したかった。
 慌ただしく医者と看護婦が駆けてきて、彼女の状態を確認した。脈を取り、瞳孔をライトで照らす。状況の分かっていない彼女は、医者の手にかすかに抗った。思わず医者の身体を掴んで彼女から引き剥がしそうになって、自分の手を握り込み、三つ数えてから後へ下がった。
 そうして、もどかしいいくつもの質問を繰り返し分かった事は、昨日までは確かに僕一人の恋人だった彼女が、きれいさっぱり、両親が亡くなった後の記憶を失っている事だった。自分が会社を興した事も、真樹のことも、館で過ごした時間も、そして僕が彼女に仕えたあの三年間も。
 自由に美しく咲き開いた花のようだった瑞季にとって、それほどに両親の死は辛いものだったのだろうか。考えもしなかった事態。しかし、いくら否定してみても変えようの無い事実だった。
 ガウンの襟元を掻き合わせながら、僕のたどたどしい説明を聞く瑞季は、心ここにあらずと言った様子で頼りなく周囲を見回している。やがて、前後のいきさつを聞き終わると、再び、困ったように僕の顔を見つめた。
「つまり、あなたは私の秘書って事?」
「ええ、そうです」
 医者が、彼女の身体に屈み込む。カルテを抱えた看護士は、心配そうに眉を寄せていた。他人がいる場所での僕の説明は、最短距離で、本来のプライバシーの部分は、ほとんど入っていなかった。
 実際の所、彼女自身にとっては、失われた記憶を惜しむ必要はなにもない。彼女の記憶は、まだ生々しい両親の死のから連続して今現在につながっていた。その悲しみに比べれば、記憶の喪失について熟考出来る状態でないのは明らかだった。
「高月さん。あまり、御心配なさらないように。こういう健忘はよくあることなんですよ。ちょっとしたショックかなにか…些細なことでも、ええ。記憶がとんでしまう事は珍しいことじゃありません。徐々に思い出されますよ。とにかく、CTスキャンを取ってみましょう。頭を打ってらっしゃると困りますからね」
 医者の穏やかな言葉に瑞季は機械的にうなずいていた。僕自身は、自分自身の墜落感になんでもないふりをして立っているのがやっと、という有様だった。これは、いったいどういう現象なんだ。酷い目にあった記憶が戻って来て、ゆきが失われると共に、瑞季も失われてしまったのだろうか……。
 いや、瑞季はそこに座っている。
 失われたのは、僕達の関係だった。
 医者の目配せに応えて、瑞季を看護士に任せて部屋を出た。
「高月さんは、いままでになにか精神的な症状のある罹患があったのでしょうか」
 迷ったが、黙っていると混乱を招くばかりだろう。僕は、彼女のトラウマの話を医者にした。医者は、すぐに僕の言葉を遮ると、僕を自分の机のある個室へ案内してくれた。部屋は、患者がリラックスして打ち明け話が出来るように、落ち着いた調度で整えられていて、僕はようやくわずかばかり緊張を解いて、椅子に深く腰掛けた。
「二つの人格……。そうですか」
 医者は、銀色のメガネの中央を押し上げながらカルテになにか書いている。
「解離性障害について、なにか、ご存知ですか?」
「ええ。多少は。ネットで調べたり、本を読んだぐらいの事ですが……」
「この症状はまだ、分からないことが多い。それに治療法も確立されていません。お話を伺う限り、彼女が回復して人格の融合が始まったとも思えます。また、そうではない可能性も検討しなくては……。ただ、もしこの記憶喪失が、外部からの刺激無しに起ったのであれば、段々と回復していくと思われますよ。サーモスタットのスイッチが入ったようなものですから」
 受け入れられない過去の記憶の奔流を遮るために、意識的に記憶を閉じてしまう。そういうことだろうか。だが、なぜそれが、最近の記憶なのか。過去の事ではなく。分からないことがあまりにも多く、不確かな状況は不安を呼ぶばかりだった。だが、今すぐに僕にできる事は何も無い。ただ、瑞季の状態が少しでもよくなることを祈る以外には、なにも。





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コメント
この記事へのコメント
 番外編でしっかり熱々を披露した後だし
オープニングでもやっぱり熱々してたし・・・
せつなが安心して東野を慰めるのは分かるけど。。。。
自分を覚えていない恋人って
もう一度自分に恋してくれるかなぁ・・・?
せつなは、随分自身があるみたいじゃないか。
真樹の方へ瑞季が転んでも不思議じゃないと思うけど。
キャッ(^^*))((*^^) キャッ
2007/01/06(土) 14:11 | URL | さやか #DS51.JUo[ 編集]
また瑞季さんはきっと東野さんのことを好きになるから
大丈夫だよ~~。
ずっと側にいたのは東野さんでしょ?
偽りではない気持ちを捧げていたのでしょ?
それなら自信を持って。
一番心細いのは瑞季さんなんだからねv
ウジウジしちゃダメ~~
って東野さんに伝えてください(゚∈゚*)
2007/01/03(水) 14:37 | URL | せつな #3/VKSDZ2[ 編集]
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