瑞季の会社は、瑞季が親から譲り受けた遺産を、ただ寝かしておくのではなく、彼女の楽しみのために転がすために始まったという。社内の決定はすべて瑞季が行っていて、社員は要するに雑用をこなし、データを集め、彼女の指示に従うためにいた。三年前に僕が彼女の補佐的仕事をするために、秘書として引き抜かれて入社した時、会社は大きくなりかけていて、全体の業務を把握する人間は社長である彼女だけだった。決定権は彼女にあり、彼女はその決定を勘だけでこなしていた。そして、それが、この会社を、瑞季無しでは動かなくしていた。
すべてのデータを取り込んで、あらゆる彼女の判断を介助していた僕にさえ、彼女がいったいどういう根拠によってその判断を行ったのか、推測できないような速さで決断をくだし、次々に指示してくる。そして、その指示がとっぴであればあるほど、面白いように効果があがり、会社に利益をもたらして行く。
そのため、彼女が三日会社を休んだだけですぐに復帰すると言い出した時、誰もそれを止めようとはしなかった。医者も、特に気分が悪くなったりしなければ、普段どおりに過ごしてもいいと許可を出したせいでもある。もちろん、これほど責任とストレスの多い仕事だと理解していての指示だったのかどうかは分からないが。
彼女のいない会社の混乱を知り尽くしている以上、仕事を休む訳にはいかなかった。その三日の間、病院のベッドで彼女が一人でいるのを案じながら過ごした僕は、彼女が復帰すると言い出すとそれを止める事ができなかった。こんな状態を続けるくらいなら、すぐ傍で彼女の姿を見守りながら心配していた方が、まだましだと思ってしまったのだ。
そして、仕事に戻った瑞季は、三年間の記憶のエアポケットが判断に影響を与えている様子をまったく見せなかった。その三年間に自分がどういう風に仕事をしていたのか、調べながら、次々と次になすべきことを決めて行く。滞ったりもせず、スムーズな指示で、あっという間にこの三日で溜まった懸案も次々に片付けられて行く。
この結果は、今までの瑞季が経験やノウハウからで無く、感覚で仕事を切り回しているという僕の推測を裏付けるものだった。彼女が正しい判断を行えるように多岐に渡るデータベースを次々と調べて提示していくのが僕の役割だ。僕は出社しているほとんどの時間を彼女の側で過ごし、彼女の仕事をサポートし続けた。
だが、耐えられないほどに辛い仕事があるとすれば、まさにそれがそうだった。全く記憶のない彼女の側でただの部下として彼女を支えるという事が。僕は、他人の彼女の側で今までどおりに振舞う事が、彼女を抱いて自分のものにした至福の時間の後に、どれほど苦しいものか分かっていなかったのだ。ほんの一年前までは、当たり前のようにこなしていたその関係の一瞬一瞬が苦痛だった。
それに、僕が恋心をつのらせていた事を瑞季が知らなかったとしても、過去の僕達の間には上司と有能な秘書としての信頼関係があった。今の二人の間にあるのは「0」なのだ。それは、ただまっしろな何も無い空間だった。
部下なのだから呼び捨てにして欲しいと、言われて瑞季は会社の中では僕を東野と呼ぶ。呼ばれる度に僕の心臓は跳ね上がり、もしやの期待を抑えきれずに彼女を見てしまう。だが、そこにあるのは、僕の知らない無邪気な瞳であり、活き活きとした強い瞳の女性の瑞季を見つけることは適わなかった。
そんな繰り返しの一日の終りには、僕の気持ちは擦り切れて、瑞季を失ってしまったという暗い想いが胸を重く塞いで抜け出しようが無くなっていた。
「お車を正面玄関に廻しますので」
「和希はどうするの?」
「自宅に戻ります」
「一緒にマンションに来ないの?」
「ご一緒した方がよろしいですか?」
瑞季は小首を傾げて僕を透かし見る。自分がどうしたいのか。どうすべきか測りかねているのだろう。軽く左右に首を振ると溜息を付いて立ち上がった。
「今日は、いいわ。家に帰って。一人で考え事するから」
「分かりました」
来るなと言われても,来いと言われても、失望を感じてしまうというのはどういう心持なのだろう。少しでも離れていたくない気持ちとは裏腹に、少しだけ距離を置いて、少しだけ自分を取り戻す時間を切望する。失われたものを見つめ続ける時間が辛くないかと言われれば辛いに決まっているのだ。
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すべてのデータを取り込んで、あらゆる彼女の判断を介助していた僕にさえ、彼女がいったいどういう根拠によってその判断を行ったのか、推測できないような速さで決断をくだし、次々に指示してくる。そして、その指示がとっぴであればあるほど、面白いように効果があがり、会社に利益をもたらして行く。
そのため、彼女が三日会社を休んだだけですぐに復帰すると言い出した時、誰もそれを止めようとはしなかった。医者も、特に気分が悪くなったりしなければ、普段どおりに過ごしてもいいと許可を出したせいでもある。もちろん、これほど責任とストレスの多い仕事だと理解していての指示だったのかどうかは分からないが。
彼女のいない会社の混乱を知り尽くしている以上、仕事を休む訳にはいかなかった。その三日の間、病院のベッドで彼女が一人でいるのを案じながら過ごした僕は、彼女が復帰すると言い出すとそれを止める事ができなかった。こんな状態を続けるくらいなら、すぐ傍で彼女の姿を見守りながら心配していた方が、まだましだと思ってしまったのだ。
そして、仕事に戻った瑞季は、三年間の記憶のエアポケットが判断に影響を与えている様子をまったく見せなかった。その三年間に自分がどういう風に仕事をしていたのか、調べながら、次々と次になすべきことを決めて行く。滞ったりもせず、スムーズな指示で、あっという間にこの三日で溜まった懸案も次々に片付けられて行く。
この結果は、今までの瑞季が経験やノウハウからで無く、感覚で仕事を切り回しているという僕の推測を裏付けるものだった。彼女が正しい判断を行えるように多岐に渡るデータベースを次々と調べて提示していくのが僕の役割だ。僕は出社しているほとんどの時間を彼女の側で過ごし、彼女の仕事をサポートし続けた。
だが、耐えられないほどに辛い仕事があるとすれば、まさにそれがそうだった。全く記憶のない彼女の側でただの部下として彼女を支えるという事が。僕は、他人の彼女の側で今までどおりに振舞う事が、彼女を抱いて自分のものにした至福の時間の後に、どれほど苦しいものか分かっていなかったのだ。ほんの一年前までは、当たり前のようにこなしていたその関係の一瞬一瞬が苦痛だった。
それに、僕が恋心をつのらせていた事を瑞季が知らなかったとしても、過去の僕達の間には上司と有能な秘書としての信頼関係があった。今の二人の間にあるのは「0」なのだ。それは、ただまっしろな何も無い空間だった。
部下なのだから呼び捨てにして欲しいと、言われて瑞季は会社の中では僕を東野と呼ぶ。呼ばれる度に僕の心臓は跳ね上がり、もしやの期待を抑えきれずに彼女を見てしまう。だが、そこにあるのは、僕の知らない無邪気な瞳であり、活き活きとした強い瞳の女性の瑞季を見つけることは適わなかった。
そんな繰り返しの一日の終りには、僕の気持ちは擦り切れて、瑞季を失ってしまったという暗い想いが胸を重く塞いで抜け出しようが無くなっていた。
「お車を正面玄関に廻しますので」
「和希はどうするの?」
「自宅に戻ります」
「一緒にマンションに来ないの?」
「ご一緒した方がよろしいですか?」
瑞季は小首を傾げて僕を透かし見る。自分がどうしたいのか。どうすべきか測りかねているのだろう。軽く左右に首を振ると溜息を付いて立ち上がった。
「今日は、いいわ。家に帰って。一人で考え事するから」
「分かりました」
来るなと言われても,来いと言われても、失望を感じてしまうというのはどういう心持なのだろう。少しでも離れていたくない気持ちとは裏腹に、少しだけ距離を置いて、少しだけ自分を取り戻す時間を切望する。失われたものを見つめ続ける時間が辛くないかと言われれば辛いに決まっているのだ。
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この記事へのコメント
ま、東野だから・・・・。
他のキャラにはないしんねり、むっつり。
こういう男は切れると怖いから用心しよう。
爆走するからね。
他のキャラにはないしんねり、むっつり。
こういう男は切れると怖いから用心しよう。
爆走するからね。
東野さんが東野さんが…
耐えてます><凄いな~~
せつなだったら、二人でうつってる写真とか…
やり取りしたメールとかをチラチラ見せちゃったりして、
記憶を呼び戻そうとあの手この手を使ってしまいそうw
耐えてます><凄いな~~
せつなだったら、二人でうつってる写真とか…
やり取りしたメールとかをチラチラ見せちゃったりして、
記憶を呼び戻そうとあの手この手を使ってしまいそうw
2007/01/11(木) 15:24 | URL | せつな #3/VKSDZ2[ 編集]