マンションに戻って上着も脱がないうちに、電話が鳴った。ディスプレイにコウヅキの文字を確認して急いで受話器を持ち上げる。
「和希?」
「はい、どうなさいました?社長」
三ヶ月も経つのに、会社を出たとたんに僕を和希と呼ぶのはいったいどういう訳なんだろう。これは、僕にとっても不思議な事のひとつだった。
ゆきが僕を「かずき」と呼んでいた頃。僕は、それをひらがなのかずきと取っていた。どうしてなのかよくわからないのがいつの間にかそのイメージがすっかりと頭の中に定着して、疑問にも思わなかった。だが、今こうして瑞季に「和希」と呼ばれると、それが漢字だと分かる事に驚かすにはいられない。ゆきの「かずき」と瑞季の「和希」には、それだけのハッキリした差があった。
「今、時間があるかしら」
「はい、ございます。御用ですか?」
「う…ん。ちょっと聞きたい事があるの。マンションに来て欲しいんだけど…」
「分かりました。すぐに伺います。何かお持ちするものがございますか?」
「ううん。なにも…」
「30分で、家を出ます」
シャワーを浴びて、服を着替えよう。一日着ていたスーツのまま瑞季のマンションを訪ねたくなかった。説明できない理由から瑞季のマンションを訪ねるのを避けて過ごした三ヶ月。本当に久しぶりに彼女のマンションに行く事になって、落ち着かない思いの中、僕は身体を洗った。
ドアを開けた瑞季は、会社でのスーツを、柔らかく揺れるワイン色のワンピースに着がえていた。久しぶりに見るくつろいだ服装の彼女は、保つべき距離を見失わせて、僕は思わず歯を喰いしばって後ずさりしてしまう。瑞季の不思議そうな、戸惑った表情に慌てて気を取り直す。
「どうかなさいましたか?」
どうかしているのは、僕の方だった。
「和希…あのね」
瑞季は、スリッパを揃えて玄関に並べると、困ったように微笑んだ。
「ちょっと見て欲しいものがあるの…」
促されて僕は、彼女の後を付いて廊下を突っ切った。一番奥の寝室に続くドアを開けて瑞季は待っている。彼女の後から寝室へ入ってみると、寝室ともうひとつの部屋を分け隔てていた電動の格納壁が開け放されていた。寝室の中央に困惑して立っている彼女を見て、この三ヶ月、彼女はこの部屋を見たことがなかったのだと分かった。
「和希、この部屋は…なんだと思う?」
瑞季は、僕達がどういう形で愛し合って来たのか、綺麗さっぱり忘れてしまったのだから、この部屋の使い道がなんなのか、そして、この部屋で自分が僕に何をして来たのかも忘れてしまっているのだった。それを彼女の前でそれを説明する必要がある日が来るなんて。ああ、まったく。
顔を覆ってしまいたいくらいの羞恥が込み上げてくる。なぜだ。相手は瑞季なんだぞ。だが、この三ヶ月の間に必死で彼女との間に作ってきた距離が、僕に越えられない壁となっているのだった。
「SMルームですよ」
「え?」
「SM……ご存じないのでしょうか?」
「う…んと…鞭で叩いたりして喜ぶ…あれ?かしら」
「ええ、そうです」
なけなしの理性を掻き集め、息を整える。なんと彼女に説明するのか、胸の中へ手を突っ込み底までさらうようにして言葉を探す。
この三ヶ月間、どうしても打ち明けられなくて、必死に押さえつけ蓋をしてきた。本当の事を打ち明ける機会が向こうからやってきたのだった。今しかない。この機会を逃したら、もう二度と彼女に愛を打ち明けられないかもしれない。そう思うと躊躇ってはいられなかった。
「僕とあなたは、支配されるものと支配するものの関係を持っていたんです」
びっくりして見開かれる彼女のぽかんとした表情をみていると、笑い出したいような衝動が突き上げてくるのを感じた。いったいこれは、どういう冗談なのだろう?責められていた女性に、変態を見るような呆れ返った表情で見つめられるという事態は。
変態を見る…いや、違うな……。と、言うよりもまったく事態が理解できてないといった方が正しい。彼女の残った記憶の情報では、僕を縛ったり、吊るしたり、打ったりするという事が想像もつかないという事だけが分かった。
僕は覚悟を決めて部屋の中央へ進み、手を伸ばしてチェーンブロックを引き下げた。ガラガラと硬質な金属が触れ合う音を立てながら降りてくるチェーンブロック。普通の部屋に設置してあるにはあまりにも不自然で異様な、まがまがしい雰囲気を醸し出す機械。そしてその鎖を握りしめて立つ僕の姿が、部屋の奥の壁一面に貼りこまれた大きな鏡の中に映りこんでいた。
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「和希?」
「はい、どうなさいました?社長」
三ヶ月も経つのに、会社を出たとたんに僕を和希と呼ぶのはいったいどういう訳なんだろう。これは、僕にとっても不思議な事のひとつだった。
ゆきが僕を「かずき」と呼んでいた頃。僕は、それをひらがなのかずきと取っていた。どうしてなのかよくわからないのがいつの間にかそのイメージがすっかりと頭の中に定着して、疑問にも思わなかった。だが、今こうして瑞季に「和希」と呼ばれると、それが漢字だと分かる事に驚かすにはいられない。ゆきの「かずき」と瑞季の「和希」には、それだけのハッキリした差があった。
「今、時間があるかしら」
「はい、ございます。御用ですか?」
「う…ん。ちょっと聞きたい事があるの。マンションに来て欲しいんだけど…」
「分かりました。すぐに伺います。何かお持ちするものがございますか?」
「ううん。なにも…」
「30分で、家を出ます」
シャワーを浴びて、服を着替えよう。一日着ていたスーツのまま瑞季のマンションを訪ねたくなかった。説明できない理由から瑞季のマンションを訪ねるのを避けて過ごした三ヶ月。本当に久しぶりに彼女のマンションに行く事になって、落ち着かない思いの中、僕は身体を洗った。
ドアを開けた瑞季は、会社でのスーツを、柔らかく揺れるワイン色のワンピースに着がえていた。久しぶりに見るくつろいだ服装の彼女は、保つべき距離を見失わせて、僕は思わず歯を喰いしばって後ずさりしてしまう。瑞季の不思議そうな、戸惑った表情に慌てて気を取り直す。
「どうかなさいましたか?」
どうかしているのは、僕の方だった。
「和希…あのね」
瑞季は、スリッパを揃えて玄関に並べると、困ったように微笑んだ。
「ちょっと見て欲しいものがあるの…」
促されて僕は、彼女の後を付いて廊下を突っ切った。一番奥の寝室に続くドアを開けて瑞季は待っている。彼女の後から寝室へ入ってみると、寝室ともうひとつの部屋を分け隔てていた電動の格納壁が開け放されていた。寝室の中央に困惑して立っている彼女を見て、この三ヶ月、彼女はこの部屋を見たことがなかったのだと分かった。
「和希、この部屋は…なんだと思う?」
瑞季は、僕達がどういう形で愛し合って来たのか、綺麗さっぱり忘れてしまったのだから、この部屋の使い道がなんなのか、そして、この部屋で自分が僕に何をして来たのかも忘れてしまっているのだった。それを彼女の前でそれを説明する必要がある日が来るなんて。ああ、まったく。
顔を覆ってしまいたいくらいの羞恥が込み上げてくる。なぜだ。相手は瑞季なんだぞ。だが、この三ヶ月の間に必死で彼女との間に作ってきた距離が、僕に越えられない壁となっているのだった。
「SMルームですよ」
「え?」
「SM……ご存じないのでしょうか?」
「う…んと…鞭で叩いたりして喜ぶ…あれ?かしら」
「ええ、そうです」
なけなしの理性を掻き集め、息を整える。なんと彼女に説明するのか、胸の中へ手を突っ込み底までさらうようにして言葉を探す。
この三ヶ月間、どうしても打ち明けられなくて、必死に押さえつけ蓋をしてきた。本当の事を打ち明ける機会が向こうからやってきたのだった。今しかない。この機会を逃したら、もう二度と彼女に愛を打ち明けられないかもしれない。そう思うと躊躇ってはいられなかった。
「僕とあなたは、支配されるものと支配するものの関係を持っていたんです」
びっくりして見開かれる彼女のぽかんとした表情をみていると、笑い出したいような衝動が突き上げてくるのを感じた。いったいこれは、どういう冗談なのだろう?責められていた女性に、変態を見るような呆れ返った表情で見つめられるという事態は。
変態を見る…いや、違うな……。と、言うよりもまったく事態が理解できてないといった方が正しい。彼女の残った記憶の情報では、僕を縛ったり、吊るしたり、打ったりするという事が想像もつかないという事だけが分かった。
僕は覚悟を決めて部屋の中央へ進み、手を伸ばしてチェーンブロックを引き下げた。ガラガラと硬質な金属が触れ合う音を立てながら降りてくるチェーンブロック。普通の部屋に設置してあるにはあまりにも不自然で異様な、まがまがしい雰囲気を醸し出す機械。そしてその鎖を握りしめて立つ僕の姿が、部屋の奥の壁一面に貼りこまれた大きな鏡の中に映りこんでいた。
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この記事へのコメント
( ̄□ ̄|||
せつな、もう、すっかりとSMに毒されてるなぁ・・・。
なんて、表現をするんだい。
二人が物語のどこで、どうやって恋人同士の関係に戻るか。
ソレは、大問題なのだ。
ソレさえ考えつけば・・・きっと、物語も終わるに違いない。
せつな、もう、すっかりとSMに毒されてるなぁ・・・。
なんて、表現をするんだい。
二人が物語のどこで、どうやって恋人同士の関係に戻るか。
ソレは、大問題なのだ。
ソレさえ考えつけば・・・きっと、物語も終わるに違いない。
一回普通のセックスをしてみるとか!
(気持ち通じあったならですけどもv)
そうしたらお互いの求めてるものが
見えるかも!(⇒無責任発言ですね><;)
ヒー。東野さん~~どうする?!
(気持ち通じあったならですけどもv)
そうしたらお互いの求めてるものが
見えるかも!(⇒無責任発言ですね><;)
ヒー。東野さん~~どうする?!
2007/01/15(月) 14:25 | URL | せつな #3/VKSDZ2[ 編集]
もったいなかったら、東野はどうするんだろう。。。
絶対に、もっといじめてとは言わないだろうが
「実は僕はSであなたをいたぶってたんです。」
なんてことも言わないんだろうな・・・・。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハちょっと、煮詰まってるさやか。
この後どうすればいいんだろう。
困ったなぁ・・・。
絶対に、もっといじめてとは言わないだろうが
「実は僕はSであなたをいたぶってたんです。」
なんてことも言わないんだろうな・・・・。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハちょっと、煮詰まってるさやか。
この後どうすればいいんだろう。
困ったなぁ・・・。
そもそも、東野さんは本質的にはMじゃなく
瑞季さんが好きなためにMなわけだから…
うーん。瑞季さんがトラウマから解放されて
Sである自覚がなくなったら…
二人にSMは必要ないのかな…。
意外と東野さんが「それはそれでもったいない」とか思ったりしてv
(スミマセン><;調子に乗ちゃいました。謝。)
瑞季さんが好きなためにMなわけだから…
うーん。瑞季さんがトラウマから解放されて
Sである自覚がなくなったら…
二人にSMは必要ないのかな…。
意外と東野さんが「それはそれでもったいない」とか思ったりしてv
(スミマセン><;調子に乗ちゃいました。謝。)
2007/01/11(木) 15:33 | URL | せつな #3/VKSDZ2[ 編集]