二人の間で「身体の関係」だけが元通りになった後、彼女は週末に、僕を部屋に泊めるようになった。仕事が終わると、僕のプライベートの予定を訊いたりしないで、当然のように帰宅する時の車を運転するように命じられる。その事が、彼女にとっての僕の位置を示しているようで、意味も無く嬉しい。送迎には黒塗りのハイヤーを使っていたのが、社用の車になり、いつしか金曜日は自分の車を乗り着けるようになっていた。
ポケットにキーを入れているだけで、開錠やトランクの開閉、エンジンの始動が出来るので、何も考えなくてもエスコートのタイミングを逃すことなく彼女を車の中に導けるからだ。
会社の帰りに食事に寄ったり、ドライブに出かけ、そのまま出先のホテルで夜を過ごす事になったりしても、車のナンバーを見られることに気を使わなくてもすむ。深く濃い紺色は、彼女が選んだ色だった。磨くのが面倒だとぼやく僕に、会社の車と一緒に洗車に出しても構わないからと食い下がって、無理矢理その色を選ばせた。セダン車にしたのは、どんな場所にでも彼女を迎えに行けるようにという無難さを優先させた結果だったけれど、ほとんど音のしない静かな乗り心地はそれなりに気に入っている。アクセルを踏み込んでも、その結果を同乗者に全く感じさせないのだ。
彼女は以前から夜のドライブが好きだった。今日は、食事の後だったこともあって、カーブが多く、ほとんど対向車のいないような山道を、できるだけ負荷を感じさせないように曲がった。きついカーブのために先の見えない道をヘッドライトが舐めるように照らして行く。
「和希の運転って、ちっとも揺れないよねぇ」
「揺れるのがお好みなら、とばしますけど」
「ううん。今日はいい。そんな気分じゃないもの」
ほんとうは、瑞季は、ギリギリまでスピードを落とさずに突っ込んで、派手にドリフトさせながら曲がるのが好きなのだ。そこまで運転が得意じゃない僕は、最初の頃は彼女の要求に応えるのに苦労した。僕の車のレジェンドは、なんと言ってもドリフトのやりにくい車なので、ドライブに行く時はいつも彼女の車だった。
本人は、マンションの駐車場で車をぶつけるようなタイプなのに、見た目で車を選ぶからとんでもない車種に乗っていた事もある。だが、確かに誰が見ても高い車に乗れば、向こうから避けてくれるから安心なのだった。
「小さい排気量の車が好き。だって、ちゃんと振動するから。スピードを出さなくてもとばしているみたいに感じるでしょう」
「ぶつかったら、つぶれてしまうじゃありませんか」
あの時、彼女はなんと答えたのだったろう…。彼女はいつも僕をひやひやさせる。決して止める事ができない自由な少女。危なっかしく高い塀の上をゆらゆらと渡って行く。
登りきった大きなカーブの所に、小さな展望台が設置されていて、僕はその前に車を停めて彼女を降ろした。
半分に翳った月が背後の山に掛かっているし、晴れた空の縁は街の明かりでうっすらと白んでいるので、街の連なりから離れた遠出という意識は無い。ただし、真っ暗ではないものの、砂利を敷いた足元はハイヒールでは歩きにくそうだった。僕はヘッドライトをつけたままエンジンを切った。彼女が展望台の手すりの所まで行くのを待って、ライトを消す。
砂利を踏んで彼女の後ろへ近づくと、背後からそっと包み込むように彼女の身体に腕を廻す。抱き寄せた細い身体が待っていたように、お互いの重心を量りながら体重を預けてくる。
「きれいね」
眼下に宝石箱のようにチカチカと瞬いている明かりが連なっている。デートスポットのお約束事のような夜景。冷たい夜の空気の中でも、ただ抱き合っているだけでお互いの身体が熱くなってくるのが分かった。屈みこみすくい上げるようにして彼女に口づける。当たり前のように唇を開いて僕を迎え入れてくれる彼女。
今の僕達はほとんど普通の恋人同士と言ってもいいような関係になっている。本来ならその安定を受け入れて、お互いに満足してもいいはずだったのに、そう上手くはいかなかった。
一緒に仕事をしている間、日に何度も彼女が僕との距離を測りかねて、位置取りを変えるのが分かる。彼女の記憶の無い、普通ではなかった僕たちの情事が、今さらに彼女の負担になっているのだった。ふたりの間にあったはずの支配と被支配の関係。彼女は自分でそれを理解できず、そのために完全に僕を受け入れる事もできない。
抱きしめた彼女の体がやわらかく溶けていく。すべてを僕に預け、熱くなっていく。お互いの唇が離れると、白い息がその唇の間を行きかうのが見えた。

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