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20、現れる、そして おののく

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 欲望にすっかり熱くなった僕たちは、長い時間を激しく愛し合い。絡まったまま、電池の切れた機械のように眠った。
 なぜ目が覚めたのか、後から思い返してみても分からなかった。ふっと、現実に戻り、僕はしんと空気が鳴るような静けさの中、間接照明に浮かび上がる天井を見つめていた。自分がどこにいるのか、何をしていたのか思い出せない。空白の時間の後、カチャン、と金物があたる音が聞えた。
 一気に、現実に引き戻された僕は、反射的に横に寝ていたはずの瑞季を探した。寝る前に熱く絡み合った恋人はベッドに横たわっておらず、確かにそこにいた証に僕の隣の隙間が湿ったままくぼんでいた。腕をついて身体を起こすと、部屋の空気は思っていたよりも冷え切っており、素肌に鳥肌が立つのが分かった。それとも、それは、寒さから来たものではなかったのだろうか?
 ギギギ…。
 何の音だ?何か金物を擦るような、神経に触る音…。ありえない物に触れてしまったかのようなぞおっと総毛立つ感覚が襲い、僕はベッドから飛び降りた。台所!
 なぜ、その時に、それほど必死になったのか。全く分からない。ドアを開けて、廊下を横切り、素っ裸の僕は躊躇うことも無く、台所へ続くドアを引きあけて飛び込んだ。
 何も考えず、躊躇無く、手を伸ばすと、包丁を握っている瑞希の腕に両手で飛びついた。彼女が驚いて切り裂かれるかのような長い悲鳴を上げるのも構わず、力任せに捻りあげて包丁を奪い取った。
 蒼褪めて、凍りつき、うつろな目で僕を見ている瑞季は、左手の甲側の手首を右手で押さえていた。その手の隙間から、真っ赤な鮮血がつつつ……と流れた。彼女の目がくるりと裏返り、白くなると、そのまま真後ろに昏倒した。僕は、手に握った彼女の血の付いた包丁を流しに投げ入れて、彼女の身体に飛びついた。危ういところで、頭を床に打ち付ける前に、彼女の身体を抱きとめる事ができた。
 意識のない身体は、ぐったりと重く、起きた事実もあまりにも重かった。どうして。どうして。どうして。
 僕が飛びつく直前の彼女は、まな板の上に乗せた自分の左手首を、出刃包丁で押し切ろうとしていたのだ。もちろん意識が無くて、加減せずに思いっきりやったとしても、自分の手を切り落とすことなど出来はしない。せいぜい骨に食い込む程度に刃が入るのが関の山だろう。だとしても、目のあたりに見た出来事が恐ろしくないとは、とても言う事が出来なかった。
 僕は震えながら、意識のない彼女を抱き上げた。ベッドへ運び、手首を消毒し、包帯を巻く。思ったよりも傷は浅く、縫わなくても大丈夫のように思えた。それでも、夢のようで信じられない事実。白々と巻きつけられた包帯が、彼女がとった行動が嘘ではなかった事を僕に教える。
 ほんのちょっと前まで、彼女は僕の腕の中にいた。愛しているという呼びかけに笑ってくれた。くちづけを分け合い絡まりあった。それなのに…それなのに、どうして。
 答えは目の前にあった。記憶が戻らない彼女は出口を見つけられないでいる。ゆきは彼女の中を彷徨ったままだ。まだ、統合は終わっていない。一番苦しくて一番見たくない記憶をもう一度掘り起こす。そうして自分の心を切り開き、血を流し…それでも尚、生き残らなければならないのだ。



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