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違和感(第一稿)

ここでは、「違和感(第一稿)」 に関する記事を紹介しています。
 パアアアアアアアアーン・・・・。
 寒い冬の青空に、市電の警笛音が鳴り響く。どうせ、右折しようとしてタイミングを逃した車が、市電の線路の中に斜めに乗り上げたまま、進むも引くも叶わなくて、立ち往生しているのだろう。スピードを出して流れている直線車に邪魔されて、右折できず、身動きの取りようがない情けない車へ向かって、優先権の傲慢さを振りかざして市電は突進し、甲高い警笛を鳴らしまくるのだ。
 そんな見慣れた風景の向こうに見えるのは、噴煙を吹き上げる桜島だった。昨日までは、長崎にいて、市電の向こうの風景は、びっしりと山の上まで隙間なく積み木のように積み上げられたような家の群れで、山はその向こう側にやわらかな緑の連なりを広げていたのに、たった2時間足らずの飛行機に乗っただけで、同じように市電が走っているのに、ぜんぜん違う別の世界に移動して来ている。
 理屈では、私が生きている今この時も、どこまでも広くつながった世界中が存在していて、私の知らない人たちが、私の知らない人生を生きている事は理解できるのだけれど、まったく、実感が沸かなかった。昨日までは、故郷にいたのに、今は、その全てに別れを告げて、通う大学のある鹿児島の空を見上げている。ここにいるのは、私なのだろうか。踏んでいる地面は、どこか頼りない。
 そんな私の物思いには全く気が付いていない新島さんは、私がちゃんと付いてきているのか気にかける様子もなく、自信あり気な足運びで目的の場所へずんずん進んでいた。
 彼は、3ヶ月前に、私の参加している市民合唱団に、新入りとして入団した。パートはテノールで、伸びやかで明るい声が遠くまで飛んで、結構うまい。彼に「帰りに紅茶を一緒に」と、誘われた私は、以前にもこんなことがあったような不思議な感覚をなぞりながら、好きになり始めた彼の後ろを黙って歩いていた。電車通りに面した商店街のビルの地下にある喫茶店は、私も、度々使っているのだけれど、煙草を吸う人が多くて店内は靄がかかっているように白いのが偶に傷だ。煙草は、歌う喉に酷く良くない。けれど、新島さんも、煙草を吸う人だった。そして彼は煙草を吸うのがよく似合う。
 喫茶店の入り口は細くて狭くて暗い階段の突き当たりにある。私は、その階段を、頼りない手すりを探りながら一歩ずつ降りて行った。取り回しに扱いかねている大きな荷物を持っていて、その箱の角が、階段の狭い壁にゴツゴツと当たる。
「持とうか?」
 手を伸ばして彼は、楽々とその箱を私の手から取り上げた。階段の突き当りのドアを開くと、空間は音楽で満ちていた。この喫茶店は、それなりの音響設備を使ってBGMにクラシック音楽だけをかける名曲喫茶だ。今、かかっているのは偶然にも、暮れの12月から練習を始めたフォーレのレクイエムだった。
 この曲は、1888年1月16日、フランスの首都パリ8区にあるマドレーヌ寺院というカトリック教会で初演された。当時は、マドレーヌ寺院の合唱団には女性が加わることが許されていなかったので、合唱は男声合唱と少年合唱で歌われるように作曲されている。今でも、どちらの選択をすることも可能だけれど、ソリストや合唱団が少年たちであることは、めずらしくない。私は、ボーイソプラノのソロで歌われる中性的なフォーレが好きだった。特に4曲目のソロ曲「Pie Jesu(ピエ・イェズ)」は、少年の声で聞いたほうが心に沁み入るような気がするのだ。ソプラノの呼びかけにハープとオーケストラが答える。何度も書きなおされた総譜の第3稿で加えられたフルートとクラリネットは、実はこの曲しか出番がないのだけれど、演奏者に「ここだけのために30分座っていても幸せ」という声が聞かれるほどの美しい調べを持っている。その少年の声が、私の耳に入り込み、私の心を押し広げ、深く楔を打ち込んでいく。

Pie Jesu, Domine Dona eis requiem. 
慈愛深いイエスよ、主よ 与えてください、彼らに、安息を
Dona eis requiem Sempiternam requiem.
いつまでも続く安息を。 

 合唱を初めて、宗教曲を歌うようになると、テレビのあらゆる番組のBGMにいろんな作曲家のレクイエムが使われていることに気がつく。歌えるようになるまで、それはただの効果音でしかなかったのに、ある日突然、音楽は意味のあるものとして聞こえてくるのが不思議だ。
 甘いものが飲みたくて、牛乳をタップリと入れたロイヤルミルクティーを頼んだ私と違い、新島さんは、紅茶の種類には、あまり頓着せずダージリンのストレートティーを注文した。
「この紙袋の中身はなんなの?随分と大きいけど」
 質問を受けて、私はテーブルの上に紙袋を乗せて、抱えるほどの大きさの箱を取り出した。プレゼント用にかかっていた水色のリボンを解いて、その箱の蓋を開けると、その中身はしわ加工のされた水色の薄紙で幾重にも包まれている。一枚一枚紙をめくっていくと、中から出てきたのは、球体関節人形だった。私そっくりに似せて特別に作ってもらったオーダーメイドの人形である。加工されて生花の時のままの姿を保っている水色のバラのコサージュをつけ、水色のジョーゼットのワンピースを着ていた。けれど、その薄紙を剥いでいく私の手は、ピンクのワンピースを着ていた。私は、包を解くその手をぼんやりと眺めながら「この手は誰の手なんだろう。私は、本当に摩耶なのかしら。」と、考えていた。
 その袖の色を見つめていると、どこか自分が自分でないような、いる場所を間違えてしまったような、違和感がつきあげてくる。本当なら、長崎の山々に抱かれて眠っているのは、私の方だったはずなのに。
「この人形は、摩耶ちゃん?それとも、由佳ちゃん?どっちが、服はいつもピンクを来ているんだっけ?こないだ、聞いたような気がしたんだけど。えっと、君は摩耶ちゃんだよね?ごめんよ。ちょっと区別がつかなくて。」
 新島さんは、顔をあげて、ピンクのワンピースを着た私をまじまじと見つめて、苦笑いした。
 新島さんは、私と由佳の区別がつかない。それも当然のことで、一卵性双生児だった私達は、顔も、背格好も、歌う声さえ全く同じだった。同じ卵から切り分けられた右半分と左半分。同じように成長し、同じように人生を歩み、同じ幸せを獲得するはずだった。けれども、幸せは何故か平等じゃないし、人生も、どこか同じものではなかった。
 例えば、この目の前に座っている、優しそうで穏やかな青年は、多分、私よりも由佳に好意を抱いていた。異性として、私たちの両方を選ぶことはできないから、私たちの全く同じ外見や、ほとんど区別がつかない内面に頼らず、ピンクのワンピースを着ていた由佳のイメージの方を選んでいたのだった。
 私はそれがとても悲しかった。新島さんが私を選んでくれなかったのもそうなのだけれど、何故か、いつも由佳の方が私の欲しいものを手にし、私の手の中にはその代わりに、同じような価値があるはずなのに、ちっとも欲しくない物が残るのだ。例えば、どんなに望んでも、ピンクのリボンは由佳のものになり、決して私のものにはならないってふうに。
「由佳ちゃんはどうしたの?君たち、いつも一緒にいたでしょう?」
 新島さんは何も知らない。私たちの事。私の事。私の想いの事。
「由佳は、事故で死んでしまったの。お正月に里帰りしていた間に。それで、お葬式とかいろいろあって、鹿児島に戻って来るのがこんなに遅くなっちゃったの。大学の授業も、新しい合唱曲の音取りもすごく進んでしまったのね。」
 新島さんは「えっ」と、息を呑んだきり、続ける言葉が見つからない様子で、固まっていた。火をつけたばかりの煙草が、灰の長さだけを延ばしていく。
 私は、人形の頬をそっと撫でた。私に似せて作った人形は、本当なら由佳が受け取るはずのものだった。私は、今度の正月の里帰りに、故郷で死のうと考えていた。「由佳が手にしている私の欲しい物」を見つめて過ごす人生を、もう終わりにしたかった。このまま新島さんがどんどん由佳に惹かれて行くのを見続けているくらいなら、いっその事もう、終わりにしてしまいたいと思っていたのだ。それなのに亡くなったのは由加だった。お葬式の間も後も全然実感が沸かなくて涙も出ず、浮遊感の中を漂って来たのに、こうして私の似姿の人形を見つめていると、なぜか大粒の涙がポロポロと流れてきた。
 昔から、私たちがあまりにもそっくりな赤ちゃんだったので、母は、私たちの区別をつけることができなかった。それで産院で右側に寝かされていた娘に由佳とつけ、左側に寝かされていた々に摩耶とつけた。区別がつくように、右側の子にピンクのベビードレスを着せ、左側の子に水色のベビードレスを着せた。母は、その後もきっと二人をうっかりと割り当てじゃない色の服を着せたり、寝かせる場所を間違えたりして、私たちを取り違えたりしていたのじゃないかと思う。だから、幼い頃、私自身、自分が本当に摩耶だという確信をもてないでいた。由佳の考えていることは、言葉にしなくてもなんとなく通じたし、由佳は私でもあり、摩耶は由佳でもあったのだ。
 けれど、私が死のうと思っていたことを、由佳は全く気がついてなかったと思う。ふたりして除夜の鐘の音を窓を開けて数え、それから、長崎で一番大きい諏訪神社の初詣に出かけることにした時も。
 新しいワンピースに着替えて、玄関に出てみると、私と由佳のお揃いの黒いパンプスが二足綺麗に並べられてあった。初めての色違いではない、おろしたての新しい靴だった。いつものように私は何気なく、左側の靴に自分の足を滑りこませた。すると、どういうわけか、新品の靴のくせに、踵がぐらぐらしていた。どうしていつも、由佳の物は、傷一つなく、私の手の中にあるものは、どこか不具合があるのだろう。
 その時、多分、なにかが私の中を通り抜けていった気がした。私は、踵がグラグラしている靴を脱いで、もう一度玄関の式台に戻った。2つの靴は寸分違わず同じデザインで黙って並んでいる。私は、右側の靴に足を滑りこませた。どちらも、今日、初めておろす靴なのだから、由佳は、私が彼女の靴を取ったとは気付かないはずだ。それに、まったく同じ靴なのだから、左を先に履いてみたのはただの偶然で、右の靴を履いたって不思議ではなかったのだから。
 諏訪神社は、一の鳥居から五の鳥居まで、ずっと階段が続いていて、鬱蒼と茂る山の樹々に抱かれている。一番上の急な階段は73段もあって長坂と呼ばれていた。私は、三の鳥居の広場につながっている車道までタクシーで行きたかったのだけれど、由佳は、神事なのだから、正面の階段をずっと登るべきだと言い張った。
「待ってよ。由佳。」
「摩耶ったら、だらしないぞー。」
 あと少し、あと二、三段で、一番上まで辿り着くと思えた時、息が切れた情けない私の呼び声に、由佳は華やかに笑いながら振り向いた。その時、彼女の足がカクンとなったのが見えた。ヒールが折れたのか、滑ったのか分からないけれど、振り向いたまま彼女の身体は階段を落ち始めた。私の目の前で、由佳の身体がさかしまになって行き、びっくりしたような視線が、私の瞳にぶつかった。
 それから、由佳は私に向かって手を差し伸べた。それがまるでスローモーションのようにはっきりと見えた。もちろん私はその手を握るべきだった。あんなにゆっくりと動いていたのだから、もっと他にも、もっと、何かできることがあったはずだった。けれど、私は、ただただ驚いて由佳が宙に浮くのをじっと見つめていた。 私の中途半端に振り上げた手は、彼女の身体のどこにもかすらず、彼女はもんどり打って、長坂を転げ落ちていった。年が明けたばかりの時間で、あんなに沢山の初詣の人出があったのに、73段の階段を誰にもぶつからず、誰も巻き込まず、一度も止まらず落ちていって、階段の下の石畳に叩きつけられた。
 産まれた後、由佳は右側に寝かされていた。私は左側に寝かされていた。私は、靴の踵がぐらついていたのを避けて、右側の靴を履いた。由佳は、何も気が付かず左の靴を履いた。ただ、それだけの事だったのに、私は生き残り、彼女は死んだ。
 その後、私は、自ら死ぬ事を考えなくなり、四十九日の法要が終わった後、一人で鹿児島の大学へ戻ってきた。
 由佳のいなくなった部屋の彼女の机の上には、彼女が帰ってきた時に見つけるように、私の書いた遺書が乗っていた。私は、その遺書の封筒の中から、人形の受取証だけを取り出し、後は破って捨てた。そうして、今、私は、由佳に遺すつもりだった私の似姿の人形を見つめている。
 私がいなくなった後、私の代わりと思ってこの人形を大事にしてね。確か遺書にはそんな文面を書いたような気がした。呪いだった。私がいた事を忘れないように。
 鼻をすすり上げると、私はバックの中から、由佳のものだったピンクのハンカチを取り出して涙を拭った。我に返った新島さんは、タバコの火を灰皿に押し付けて消した。
「大丈夫かい。辛いだろうね。ずっと一緒に生きてきたんだろうに。僕にできることがあれば、なんでも言っておくれ。」
 ええ、そうね。あなたは私と由佳の区別がつかない。きっと、仄かに好意を抱いていたのが、彼女だっだ事も夢のように薄れていく。そして、私は、きっと幸せになってみせる。
 さようなら、水色のワンピースしか着せて貰えなかった私。私は、私自身に別れを告げる。薄紙をそっと人形の上にかき合わせると、水色のワンピースを来た少女は、覆われて見えなくなった。私は、蓋を持ち上げて、きっちりと箱を閉じた。

 顔をあげると曲は、ベートーヴェンハ長調ミサの「Sanctus(サンクトゥス)」になっていた。

Benedictus qui venit   祝福されますように、来たるものが
in nomine Domini.     主の名において
Osanna in excelsis.    オサナ、いと高きところにて
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