私は、博人さんと付き合い始めた。大学を卒業して、そこそこの会社の普通のOLとしてのスタートを切った私にとって、博人さんは相変わらず夢の中の王子様だった。
私は、彼が「SMが好き」と、言ったことを忘れ始めていた。あまりにも具体性に欠けていたせいなのか。それとも、直視するのを怖れていたせいだろうか。違う。彼が私に見せ始めた彼の世界が、あまりにも日常からかけ離れ手いて、私はふわふわと夢の中に迷い込んでいったのだ。
会社の帰りに待ち合わせをして、夕食を食べる。買い物をする。映画に行く。休日には、ドライブをして、手をつないで歩く。その一つ一つが本当に夢の中の世界だった。
彼と一緒に歩くようになって気が付いた。博人さんは一般人では無かったのだ。まず、一緒に夕食を食べようという話になると、連れて行かれるのはネクタイをしないでは入れないようなレストランなのだった。その後にちょっと飲もうかと言われると案内されるのはホテルのバー。
買い物に行けば、タグを見るのが怖いようなお店に連れて行かれ、店員が後から付いてくる。支払いは全部カード。映画を見れば、指定席。いや、そういうお金の問題じゃない。
どんな豪華なレストランに行っても、相手が普通の男なら、現実の世界だった。でも、そこに座っているのが博人さんというだけで、私はすっかり舞い上がってしまいお姫様になったような気になってしまう。差し出される手に、廻される腕に、囁かれる声にうっとりとなって、異次元の世界へ迷い込んでしまうのだった。
後ろから囲い込むように抱きすくめられる。耳元で優しく呟かれる。
「愛しているよ」
頬に触れてくるくちびる。さらりとさりげなく通り過ぎていく乾いたくちびる。
強く引き寄せられ、抱き締められる。甘いキス。吐息。抱擁。幸せな事以外、何も考えられない。
でも、自分の狭いアパートに帰ってくると、ふと、不安になった。パソコンのスイッチを入れて検索する。
「SM」そこに現れるのは、縛られた女性の姿。欲望がぶつけられる対象としての…。私は首を振る。あまりにも今、別れてきた相手にそぐわない…。想像できなかった。セックスを知らないって訳じゃない。初体験は高校生の時だったし、その時の彼とは大学に入るまで続いた。大学に入ってからも付き合った相手はいた。結局は二、三度で別れてしまったけど…。
でも、あまりにも乏しい私の体験からは、何も推し量れなかった。
「部屋に来る?」
夕食の後に誘われた。付き合い始めて三ヶ月。断る理由はなにもなかった。うなずいて微笑み、彼の車に乗った。駐車場に車が滑りこんだ時、エンジンを切ってしばらく彼はハンドルを指で叩いていた。
「どうしたの?」
薄暗い駐車場でじっと見つめられた。
「迷っている」
私は見つめ返した彼の目が光ったような気がして。
「何を…?」
さ夕姫くようなかすれた声しか出なかった。
「君が欲しい」
ハンドルを押しやるようにして、そのままゆっくりと助手席にいる私の上に手を伸ばしてくる。右手をドアに付いて、左手できようにシートベルトを外す。そして、動けない私の上に覆いかぶさってくる。
「欲しくて、気が狂いそうだ」
ほとんどくちびるがふれそうなくらいに近づいて囁かれる。彼の吐息がくちびるにかかる。
「限界」
私は目を瞑ってそのくちびるが押し付けられるのを待った。
見ないようにして。気がつかないふりをして、私は彼のものになった。
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