「そろそろ、従業員を入れて規模を大きくしたらどうだ」
弓人叔父は、手元の資料に目を通しながら言う。この人は、こっちの余裕が無くなっていっぱいいっぱいになるようにどんどん押してくるのが得意だ。
「分かっているんですか?そうなると、事務所の場所から探さないといけないんですよ」
彼の肘掛の椅子に腰を乗せて寄りかかる僕を片方の眉だけをちょっと上げていたずらっぽく見あげる。
「あの、マンションではだめか?」
「だめに決まっているでしょう。他人を入れれば、どこから秘密が洩れるかわからない。夕姫にそんな危険をおかさせませんよ」
「まったく、お前がそこまで、恋に入れ込むような男だとは思わなかったよ」
「指摘していただかなくても結構です。正直自分でも呆れていますよ」
咽喉奥でクックッと笑いながら叔父は、手を伸ばして僕の首に手をかけると引き寄せようとした。キスされる直前にくちびるとくちびるの間に手を入れるのが間に合う。
「キスもだめなのか」
「だめです。何のために、パートナーを整理したのか分からなくなる」
「おやおや。それは、まったく残念」
「叔父さん。夕姫に手を出さないでくださいよ。僕は自分でもコントロールしきれてないんですから」
「大事な甥っ子を、虐めたりしないさ」
あやしいものだ。本質的なサディストの叔父は、人を困らせるのが大好きなのだから。僕は立ち上がると拡げてあった資料をひとまとめにして、袋に戻した。
「データーの方は、全部パソコンに入れときましたから。今日は、これで帰ります。夕姫が来るので。もう、一時間も遅刻している」
叔父は肘掛に付いた肘に顎をのせるとにやにや笑った。まったく嫌な人だ。
「事務所を探すなら秘書の矢崎に言っとくぞ」
「…あなたがそう急ぐのは理由があるんですね」
「…どうかな」
「わかりました。お願いしますよ。明日は、直接に会社の方へ顔を出しますから」
鍵を開けて部屋に入ると部屋は真っ暗だった。不審に思って腕時計を見ると、午後8時12分。夕姫が来るといっていた時間は、とっくに過ぎていた。上着を脱いでソファに放り出すと額を押さえて考える。
まず携帯のメールと着信を確認した。何も入っていない。電話のところへ行って、留守電を再生する。メッセージが流れ出す。聞きながらドアを開けっ放しで書斎へ移動し、パソコンを起動する。メールをチェック。何の連絡も入っていない。
夕姫が何の連絡も無しに遅れる?ありえない。時間にはことのほかしっかりしているのだ。僕が何時間遅れようと10分前には必ず来ている。電話を取り上げ、彼女の会社に電話した。
「1時間半ほど前に退社しましたよ」
「分かりました。お手数をおかけして申し訳ありません」
彼女の同じ部署の上司はキッパリと、彼女が退社したことを認めた。おかしい。胸騒ぎが押し寄せてきて、急いで携帯を取り上げた。GPS計測をおこなうための検索コールを掛ける。電源を切ってなければ、居場所が特定できるはずだ。GPS計測には、時間がかかる。上着を取り上げ、車の鍵を握ると部屋を出た。
「分かった。すぐに行く」
幸い場所が特定できて携帯に地図が示される。急いで車のナビに情報を入力する。最近工事している大きなビル。緊急事態の予感に、躊躇無く叔父に電話した。こんな時に叔父ほど頼りになる人間はいない。無条件な援助とあらゆる権力を行使することをためらわない人なのだ。車のエンジンを掛けてタイヤを鳴らしながら、僕は夜の街へ飛び出していった。
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